東溪日記

聖読庸行

評論

【東渓文庫】夏目漱石「思ひ出す事など」よりドストエフスキーの事

二十 ツルゲニエフ以上の芸術家として、有力なる方面の尊敬を新たにしつつあるドストイエフスキーには、人の知る如く、子供の時分から癲癇の発作があつた。われ等日本人は癲癇と聞くと、ただ白い泡を聯想するに過ぎないが、西洋では古くこれを神聖なる疾と称…

【東渓文庫】室生犀星「亡霊は生きてゐる」

室生犀星「亡霊は生きてゐる」 芥川龍之介の自殺の真相なんかはせんさくしなくともいい、小穴(注:小穴隆一)の解るのは小穴の考へた芥川であつて、芥川の頭のなかでごちやごちやして芥川自身だつてよく解らないものが、小穴にわからう筈がない、小穴のわか…

【東渓文庫】岩上順一「秋声とその流れ」

秋声とその流れ (1942, 9) 中央公論六月号にのった野口冨士男の「家系」を読んで、満されない何かが、いつまでも心にのこっていた。ところで、最近機会があって私は徳田秋声のいくつかの作品を読みかえしてみた。これまでよみおとしていたいくつかの側面に…

【東渓文庫】高見順「文芸的雑談」より二篇

私小説 リルケの「マルテの手記」にこんなことが書いてある。「大勢の人々がいるが、人間の顔は然しさらにそれよりも多いのだ。一人の人間は必ずいくつか顔を持っているのである。」私ははじめ何気なくそれを読みすごした。いわばうまいことを言うといった程…

【東渓文庫】芥川龍之介「『私』小説論私見」

芥川龍之介「『私』小説論私見」 ——藤澤清造君に—— 「わたくし」小説に就いて わたしは久米正雄君の「わたくし」小説論に若干の興味を持っている。今その議論を分析して見れば—— (一)「わたくし」小説は小説になっていなければならぬ。 (二)「わたくし」…

【東渓文庫】森鷗外「烈真具に題す」

独逸の文を興したるものは新教の開祖にあらずや。第十六基督世紀のルウテル即ち是れなり。独逸の詩を起したるものは哲人ナタン(注:『賢者ナータン』)の作者にあらずや。第十八基督世紀のレツシング即ち是れなり。独逸の文に通ずるもの誰かこれを快とせざ…

【東渓文庫】横光利一「芭蕉と灰野」

芭蕉と灰野 芭蕉のものをときどき私は読んで見るが、あまり知っている方ではない。小説を書いていると、あの境地は一大敵国で、狐や狸のいそうな気持のすることさえある。伊賀の上野の中学にいるとき、母が芭蕉の住んだ蓑虫庵を借りるため契約まで一度してと…