「いらえはなかった」が通じないとは思わなんだ。というより、通じない人はいくらもあろうが、知っているのが多数、いわんや読書家とあっては、と思っていたものが、これほどまでに理解を得られないとは。私のイメージする日本語と、周囲の人びとのそれとに…
カロル著、芥川龍之介・菊池寛共訳「アリス物語」 五 芋虫の忠告 六 豚と胡椒 七 気違ひの茶話会 八 女王の球打場 五 芋虫の忠告 芋虫とアリスは、暫くの間黙り込んで見合つてゐました。しかしとうとう芋虫が口から水煙管をとつて、だるいねむさうな声で、ア…
夏目漱石「こころ」は445枚 原稿用紙換算は古いと言われる。事実そうかもしれない。いやしかしどうだろう。改行や平仮名・漢字の差を無視したおおまかな基準とは言え、文量を感覚的に把握できるメリットはあるはずで、それによる諸作品の比較は、小説を見る…
二十 ツルゲニエフ以上の芸術家として、有力なる方面の尊敬を新たにしつつあるドストイエフスキーには、人の知る如く、子供の時分から癲癇の発作があつた。われ等日本人は癲癇と聞くと、ただ白い泡を聯想するに過ぎないが、西洋では古くこれを神聖なる疾と称…
熊の殺処分への抗議が多いと聞く。私はそれ以上に抗議への批判を多く見かける。よかろう、それぞれの主張は分った。私は殺処分はやむを得ぬことと思うし、そう言ってきた。そもそもやむを得ないも何も、街中に熊があれば撃つ他あるまい。で、現在、事態は殺…
カロル著、芥川龍之介・菊池寛共訳「アリス物語」 一 兎の穴に落ちて 二 涙の池 三 コーカスレースと長い話 四 兎が蜥蜴(とかげ)のビルを送出す アリス物語は、英国のルウヰス・カロルと云ふ数学者の書いた有名な童話です。英国のヴヰクトリヤ女王がお読み…
国内 芥川龍之介「『私』小説論私見」 芥川龍之介「僕の瑞威から」よりレーニン 梶井基次郎「筧の話」 梶井基次郎「瀬戸内海の夜」 梶井基次郎「蒼穹」 梶井基次郎「鼠」 岩上順一「秋声とその流れ」 金史良「蛇」 高見順「文芸的雑談」より二篇 夏目漱石「…
哲学序説カント著、桑木厳翼・天野貞祐訳「哲学序説」 序説の一般的問題の解答 ——如何にして学としての形而上学は可能なるか 理性の素質としての形而上学が存在して居ることは事実であるが、それは其自身に於ても(我々が第三の主要問題の分析的解答に於て証…
哲学序説カント著、桑木厳翼・天野貞祐訳「哲学序説」 結語 純粋理性の限界決定に就いて 五十七 上述の分明なる証明にも拘らず尚お我々が或る対象に関して、其対象の可能的経験に属するもの以上を認識しようと望み、或は我々が可能的経験の対象ならざること…
瀬戸内海の夜(断片) 船は岬から岬へ、島から島へと麗しい航路を進んでゐた。瀬戸内海の日没——艫の一条の泡が白い路となつて消えゆく西には太陽の栄光はもう大方は濃い青に染んでしまつた雲の縁を彩つてゐたが、船の進んでゆく東の方はもう全く暮れてしまつ…
梶井基次郎「筧の話」 私は散歩に出るのに二つの路を持つてゐた。一つは渓に沿つた街道で、もう一つは街道の傍から渓に懸かつた吊橋を渡つて入つてゆく山径だつた。街道は展望を持つてゐたがそんな道の性質として気が散り易かつた。それに比べて山径の方は陰…
森鷗外「高瀬舟」 高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞をすることを許された。それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪へ廻されることであつた。それを護…
流行語大賞候補中、ふさわしく見えるのは「教皇選挙」「古古古米」と高市発言くらいのものだろう。「エッホエッホ」も流行ったことには流行ったが、その程度のミームは毎年いくつも生れる。クマ被害を表わすいい語があればよかったのだが、「緊急銃猟」では…
梶井基次郎「蒼穹」 ある晩春の午後、私は村の街道に沿つた土堤の上で日を浴びてゐた。空にはながらく動かないでゐる巨きな雲があつた。その雲はその地球に面した側に藤紫色をした陰翳を持つてゐた。そしてその尨大な容積やその藤紫色をした陰翳はなにかしら…
室生犀星「亡霊は生きてゐる」 芥川龍之介の自殺の真相なんかはせんさくしなくともいい、小穴(注:小穴隆一)の解るのは小穴の考へた芥川であつて、芥川の頭のなかでごちやごちやして芥川自身だつてよく解らないものが、小穴にわからう筈がない、小穴のわか…
カント著、桑木厳翼・天野貞祐訳「哲学序説」 先験的主要問題 第三編 如何にして形而上学一般は可能なるか(下) 五十 二 宇宙論的理念 純粋理性がその超験的適用に於て作り出した宇宙論的理念という此産物は純粋理性の最も著しい現象である。それは又就中哲…
エドガー・アラン・ポー著、江戸川乱歩訳「黒猫譚」 私がこれから書き綴らうとするのは、世にも不気味な、而も極めてありきたりな物語であるが、私は読者にそれを信じて貰ふこと、を予期しもしなければ歎願しもしない。かう言ふ私自身の五感すらが吾れと吾が…
カント著、桑木厳翼・天野貞祐訳「哲学序説」 先験的主要問題 第三編 如何にして形而上学一般は可能なるか(中) 四十五 純粋理性の弁証法に対する緒言 さきに、第三十三章及第三十四章に於て述べたところによると、範疇が全然感性的限定の混合を脱却して純…
多数の大臣がトランプを平和賞に推薦したところで、何の足しにもならないように感じるのだが、そうでもないのだろうか。推薦人が多ければ、あるいは他に有力な候補がなければ、トランプに平和賞の渡る可能性があるのだろうか。ノーベル委員会にヘイトを向け…
カント著、桑木厳翼・天野貞祐訳「哲学序説」 先験的主要問題 第三編 如何にして形而上学一般は可能なるか(上) 四十 純粋数学及び純粋自然科学は彼等自身の安全と確実とのためならば、以上余が両者について成就した様な演繹をば要しなかったであろう。何と…
現在日曜劇場で放送中の「ザ・ロイヤルファミリー」。何か聞き覚えがあると思えば、五年前の山本周五郎賞受賞作か。「日の名残り」から影響を受けたという話を聞いた覚えはあるが、読むには至らなかった。 名前だけ知っていながら読むことのない作品というも…
カント著、桑木厳翼・天野貞祐訳「哲学序説」 先験的主要問題 第二編 如何にして純粋自然科学は可能なるか(丁) 三十六 如何にして自然そのものは可能なるか 此問題は先験哲学が結局到達すべき最高の点である。のみならず、先験哲学は其限界並に完成として…
秋声とその流れ (1942, 9) 中央公論六月号にのった野口冨士男の「家系」を読んで、満されない何かが、いつまでも心にのこっていた。ところで、最近機会があって私は徳田秋声のいくつかの作品を読みかえしてみた。これまでよみおとしていたいくつかの側面に…
詩歌なるものが一体、どれほど批評の対象たり得るか、疑問である。 時間感覚のない文章など、格言集以上の何になりうるのであろう。 そしてまた格言が時代のもの、大衆のものとなるのは偶然的なことで、要するに一種の流行にすぎぬのであって、またその道を…
パンガシウスなるナマズも、ずいぶん人の知るところになったと思うが、はじめ口にしたとき、それは私に衝撃を与えたものである。 二、三年前のことだが、ソテーされたそれを食べて、人工魚肉か何かかと疑った。噛むと油があふれるのに、その油になんら特徴が…
分人、なんて言い方に私は大して興味はないが、とはいえ人間は状況的なものである。環境が違えば言うことも変る。そこのところが田原(総一郎)さんには見えなくなっているのか、あるいは知ったうえで拒否しているのか。隣に大島渚が座っていて、対面に宮台…
カント著、桑木厳翼・天野貞祐訳「哲学序説」 先験的主要問題 第二編 如何にして純粋自然科学は可能なるか(丙) 二十七 我々は今やヒユームの疑惑を根柢から覆すべき場合に達した。因果律(詳しくいえば或ものの存在が其を必然的に定立するところの或る他の…
カント著、桑木厳翼・天野貞祐訳「哲学序説」 先験的主要問題 第二編 如何にして純粋自然科学は可能なるか(乙) 二十一(イ) 斯くの如く、経験の可能性が先天的純粋悟性概念に基いて居る以上、若し我々が経験の可能性を説明せんとせば、先ず以て判断作用一…
カント著、桑木厳翼・天野貞祐訳「哲学序説」 先験的主要問題 第二編 如何にして純粋自然科学は可能なるか(甲) 十四 自然とは普遍的法則に従って限定された物の存在である。もし自然が物自体そのものの存在を意味すべきものであったら、我々は自然を先天的…
広津和郎「或る夜」 或る夜、家人が寝鎮まってから、私がひとりで机に向って起きていると、何ものかが畳の上をカサコソと這う小さな音がした。私は読んでいた雑誌から眼をその音の方へ移すと、そこには足の辺りに気味の悪い赤味を帯びた大きなげじげじが一疋…