東溪日記

聖読庸行

【東渓文庫】横光利一「鞭」

横光利一「鞭」 (入力者注:以下の内容は自殺の要素を含みます) 船が長崎を出てからの最初の夜になって私が夕食をとろうとしていると、急に無線電信がかかって来て一等船客の乙竹順吉と云う青年に自殺の虞れがあるから監視を頼むと云って来た。私が事務長…

【東渓文庫】金史良「蛇」

金史良「蛇」 築地通りの空地のほとりに、或る霧の深い夏の朝六時、見る目にも壮大な体をした一人の男が、のっそりと現われ出た。朝霧も彼には恐れをなしたかのように、しらじらと薄らぎ始める。上服は灰色のよれよれの折襟の下はコールテンズボンだった。 …

【東渓文庫】カント「プロレゴメナ」(7/16)

カント著、桑木厳翼・天野貞祐訳「哲学序説」 先験的主要問題 第一編 如何にして純粋数学は可能なるか(註) 註(一) 純粋数学殊に純粋幾何学は感官の対象だけに関係するという制約の下にのみ、客観的実在性を有つ事が出来る。然し感官の対象に関しては我々…

【東渓文庫】三木清「『汝自身を知れ』」

「汝自身を知れ」といふ言葉は、哲人ソクラテスの名と結び附いて世界的になつた標語である。これほど古い起源と同時に普遍性を有する標語はないであらう。今日我が国において、西洋文化を排斥し国粋主義を唱へる者が我々に向つて掲げる標語も、「汝自身を知…

【東渓文庫】カント「プロレゴメナ」(6/16)

カント著、桑木厳翼・天野貞祐訳「哲学序説」 先験的主要問題 第一編 如何にして純粋数学は可能なるか 六 さて茲に一個の広大にして而も実証されたる認識がある。其れは今でも已に驚く可き程の範囲を包括し、又今後無限に発展する望を有ち、全然必然的なる確…

教育勅語

教育勅語を云々しているのは一部の人かと思い込んでいたが、どうも新総理殿が賛美していらっしゃるらしい。そしてまたその支持者には、「教育勅語の文言は結構ではないか」という人びとのあるそうである。彼らの言っていることは三十年以上前に景山民夫の言…

【東渓文庫】高見順「文芸的雑談」より二篇

私小説 リルケの「マルテの手記」にこんなことが書いてある。「大勢の人々がいるが、人間の顔は然しさらにそれよりも多いのだ。一人の人間は必ずいくつか顔を持っているのである。」私ははじめ何気なくそれを読みすごした。いわばうまいことを言うといった程…

【東渓文庫】カント「プロレゴメナ」(5/16)

カント著、桑木厳翼・天野貞祐訳「哲学序説」 序説。一般的問題 (如何にして純粋理性による認識は可能なるか) 五 分析的判断と綜合的判断との著しい相違は已に我々の述べた所である。分析的命題は全く矛盾律に基くものであるから、其可能性を理会すること…

【東渓文庫】芥川龍之介「『私』小説論私見」

芥川龍之介「『私』小説論私見」 ——藤澤清造君に—— 「わたくし」小説に就いて わたしは久米正雄君の「わたくし」小説論に若干の興味を持っている。今その議論を分析して見れば—— (一)「わたくし」小説は小説になっていなければならぬ。 (二)「わたくし」…

【東渓文庫】芥川龍之介「僕の瑞威から」よりレーニン

レニン第一 君は僕等東洋人の一人だ。 君は僕等日本人の一人だ。 君は源の頼朝の息子だ。 君は——君は僕の中にもゐるのだ。 レニン第二 君は恐らくは知らずにゐるだらう。 君がミイラになつたことを。 しかし君は知つてゐるだらう。 誰も超人は君のやうにミイ…

【東渓文庫】カント「プロレゴメナ」(4/16)

カント著、桑木厳翼・天野貞祐訳「哲学序説」 序説の一般的問題 (一般に形而上学は可能なるか) 四 もし、真に学としての位置を保持し得る形而上学が存在しているならば、即ちもし「茲に形而上学がある、読者はただ其れを学びさえすれば宜しい。そうすれば…

【東渓文庫】プラトン「ソクラテスの弁明」(3/3)

プラトン著、久保勉・阿部次郎訳「ソクラテスの弁明」 (二十一)これでも諸君は信じ得られるか――私が政治に携はつて、而も善良な人にふさはしきことを為し、正義に与して、これを何者よりも(それは当然の事であるが)重視したとして、それでも私は猶こんな…

【東渓文庫】プラトン「ソクラテスの弁明」(2/3)

プラトン著、久保勉・阿部次郎訳「ソクラテスの弁明」 (十一)古き告訴者が提出したる告訴に対して、私が諸君の前に為すべき弁明は、今言つたところで尽きてゐるであらう。私は今、自ら善良なる愛国者を以て任ずるメレトスや、新告訴者と見做して、今度も亦…

【東渓文庫】プラトン「ソクラテスの弁明」(1/3)

プラトン著、久保勉・阿部次郎訳「ソクラテスの弁明」 (一)アテナイ人諸君、私の告訴者が諸君に果して如何なる印象を与えたか、私はそれを知らない。が、兎に角私にとっては、彼等は殆ど私自身をさえ忘れしめようとした、彼等の弁舌にはそれほどの説得力が…

【東渓文庫】森鷗外「烈真具に題す」

独逸の文を興したるものは新教の開祖にあらずや。第十六基督世紀のルウテル即ち是れなり。独逸の詩を起したるものは哲人ナタン(注:『賢者ナータン』)の作者にあらずや。第十八基督世紀のレツシング即ち是れなり。独逸の文に通ずるもの誰かこれを快とせざ…

【東渓文庫】梶井基次郎「鼠」

俺が戯れに遁してやつた鼠よ。可愛い鼠よ。貴様はほんたうに可愛らしかつた。若い肥えた身体、それから茶色の毛。溝の鼠なら靴ふき毛のやうにきたないのにお前の毛は一本一本磨いたやうだつた。清潔だつた。そして貴様は十七の娘のやうな身体をしてゐたのだ…

【東渓文庫】カント「プロレゴメナ」(3/16)

カント著、桑木厳翼・天野貞祐訳「哲学序説」 (凡ての形而上学認識の特質に関する) 緒言 一 形而上学の起源について 我々が或る認識を学問として現わそうとするならば、其認識が他の認識と共有して居ない相違の点、即ち其れに特有なるものを予め厳密に決定…

【東渓文庫】カント「プロレゴメナ」(2/16)

カント著、桑木厳翼・天野貞祐訳「哲学序説」 (学として現われ得べきあらゆる将来の形而上学に対する) 序言(後半) 余は明かに告白する——ダヴイド・ヒユームの警告は数年前始めて余を独断の微睡から覚醒し、思弁哲学の範囲に於て余の攻究に全然別途の方向…

【東渓文庫】横光利一「芭蕉と灰野」

芭蕉と灰野 芭蕉のものをときどき私は読んで見るが、あまり知っている方ではない。小説を書いていると、あの境地は一大敵国で、狐や狸のいそうな気持のすることさえある。伊賀の上野の中学にいるとき、母が芭蕉の住んだ蓑虫庵を借りるため契約まで一度してと…

【東渓文庫】カント「プロレゴメナ」(1/16)

カント著、桑木厳翼・天野貞祐訳「哲学序説」 (学として現われ得べきあらゆる将来の形而上学に対する) 序言(前半) 此『序説』は、生徒の使用に供するためではなくして、将来の教師のために書いたものである。而して此人々も決して、已に存在せる一個の学…

某賞2

すっかり忘れていたが、ノーベル文学賞が9日に発表されるらしい。 しかしコーマック・マッカーシーもウィリアム・トレヴァーも亡くなった今、ノーベル文学賞にふさわしい作家とは誰であろう。20年前なら村上春樹で問題なかったと思うが、今となってはもう…

某賞

直木賞、芥川賞の季節が迫っている。人はいう。「なにをおっしゃるうさぎさん、下半期の直木賞は一月だよ」と。それはそうなのだが、候補作候補はいよいよ出揃う頃合なのである。某サイトがその一覧を出してくれるのがもっぱら今のたのしみだ。 それにしても…

十月の話し

どうも小説を読む気分になれず、読書を人文書に切り替えようと思う。『楡家の人びと』だけは最後まで読むが。 広井良典『コミュニティを問いなおす』 フロム『自由からの逃走』 ヘーゲル『哲学史序論』 浅田彰『構造と力』 フーコー『知の考古学』 清水幾太…

フレンチトーストのなぞ

フレンチトーストというものを、食べた記憶があまりない。幼少期には親につくってもらったかもしれないが、覚えていない。それだから、店へ行ってもわざわざ注文しようと思わない。しかしYouTubeを見ていると、どうもこれは人気らしい。 そういうことで一、…

に、なる

総裁選の結果高市氏が新総理だそうで。 決ってしまうとわずかの関心も急速になくなり、まあ、誰がなっても変んねえや、という心境。政治なんて転びやすいもののことは、あんまり考えても疲れるばかりである。というより、自分のことで丁度忙しいために関心が…

うぇ

議論のレベルの低さに嘔吐を催すことがある。少くない。そういう駄弁を好きな人間のあることは構わない。なぜ、立派に作家や学者なんかとして活躍している人が、その程度のネット上の議論に口を挟んでしまうのか、それが問題である。彼らまで頭の悪くなるこ…

堪え

『罪と罰』、読んでいるのだが、冒頭マルメラードフの長広舌にすでに辟易。なんだこいつ、こんなやつのためにソーネチカは、と思うと悔しくて厭になる。 ドストエフスキーのことだ、我慢して読めばちゃんと客観性を持たせてくれることだろうと、そう信じなが…

本に入り込めぬ謎

小説を読む。こんな私でもときどき読む。が、それは文字通り、ただ「読んでいる」のであって、「体験」には及ばない。なぜか。わからない。 カラマーゾフには確かに「体験」の感があった。ソクラテスの弁明もそうである。ところがその他の小説に当るとなぜだ…

まず何を読むか

まず何を読むか、まず何を読んだか。それは作家の印象に強く影響を与える。 村上春樹が好例である。初めに『ノルウェイの森』を読んでハルキ文学を見放した読者は、決して少くないはずだ。春樹は初期から順を追って読むのがよいだろう。 伊坂幸太郎であれば…

ディベートも何も

「多様性」という言葉を、「多様な価値観を認める向き」という意味で使っている限り、それを主張するものも、それに反対するものも、議論の相手にするのさえ億劫である。 人間は多様である。その前提を「多様性」と呼ぶのであって、そんな規定はとうに終わっ…