まず何を読むか、まず何を読んだか。それは作家の印象に強く影響を与える。
村上春樹が好例である。初めに『ノルウェイの森』を読んでハルキ文学を見放した読者は、決して少くないはずだ。春樹は初期から順を追って読むのがよいだろう。
伊坂幸太郎であれば『重力ピエロ』がそれに相当すると私は考える。悪い作品だというのではない。しかし伊坂らしい魅力を持った作品といえば、殺し屋シリーズか、あるいは『ラッシュライフ』が相当する。
石原慎太郎『太陽の季節』も典型的だ。福田和也じゃないが、『わが人生の時の時』が入口によかろう。
夏目漱石『吾輩は猫である』もそうである。強い意志でもないとあれは飽きる。『坊つちやん』、『明暗』あたりがふさわしい。
横光利一も『日輪』から入るとちと厳しい。
梶井基次郎『檸檬』にも首をひねるが、しかし他に何が好いのかと言われればそれも難しい。いい作家なのだが。結局『檸檬』が最適なのか。
森鴎外『舞姫』は考えものである。まあ高校生にはそれで充分かもしれないが。『高瀬舟』へジャンプしてしまってよかろう。高校生ならば翻訳を読むのもよい。「舞姫風」の文体であれば、彼の翻訳物に求めればよい。
二葉亭四迷も翻訳か、あるいは評論がよい。
大江は初期短編がいいか。『芽むしり仔撃ち』は案外人を選ぶ。『個人的な体験』がよいという人があるいはあるかもしれないが、そこは何とも言われない。
私は詩を読めないが、白秋の紀行文はいいものと思う。「木曾川」なる佳作が『日本八景』に入っていて、国会図書館デジタルにある。
芥川はなんでもいいか。
谷崎、川端、太宰、志賀なんかはちょっとわからない。好きな人は何でも好きなのじゃないか。川端はやや注意が必要か。
まあ、何でもいいと言えば、やはり何でもいい。小説など、偶然読むことがあればそれでいい。と、誰かは言っていたかもしれない。無責任。