東溪日記

聖読庸行 2007生

【東渓文庫】大隈重信「犬養君はよく吠える」

池田林儀編『隈侯閑話』より

 

二〇、犬養君はよく吠える

「岡山県は元の吉備の国だが、昔崇神天皇が四道将軍を差遣はした時に、吉備津彦命が此の地方にその一人としてやつて来られた。当時此地方は土人ばかりでなく、外人も大分入り込んで騒いで居たやうで、なかなか重要な土地であつたやうである。

 此の吉備津彦命と云ふ方は余程犬が好きであつたやうに見える。それで沢山の犬を飼つて居たが、それを飼ふ役人が要るんで、これを犬養宿祢と云つた。犬養毅などは此の犬養宿祢の末裔であらう。そこで吾輩が岡山に行つた時に、彼地で演説をやつて曰くだ、「犬と云ふ者は悪人を見ると吠えつくものである。ところが中には吠え過ぎて善人にまでも吠えるものがある。犬養君にも此のよく吠える気風があつて、なかなか悪人に吠え付くことが名人であるが、時々吠え過ぎることもないではない」とやつて大笑ひをさしたことがある」

 

二一、犬養毅島田三郎を困らす

 「犬養と云ふ男は昔から面白い男であつたよ。なかなかの豪傑で、吾輩が京橋の弓町、さう今の万朝報社がそれだが、あれを別荘にして一週に一度位づつ出向いて人に

会つたり用を弁じたりしたことがあるが、その頃には始終やつて来て吾輩の知らん間に御馳走を食つたり酒を飲んだりして行きをつたが、月末になつて勘定が多いので驚かされたよ。尤もその頃にはなかなか豪傑連中ばかり揃つて居つたからな。

 ウム面白い話がある。藤田茂吉、朝吹英二それから犬養なんかと一緒に伊香保に行つたことがあるテ。その時には島田三郎なんかも一緒であつた。島田はああいふ真面目な君子人だが、他の三人は揃ひも揃つて豪傑だ。宿屋で酒を飲む女なんか招んで大はしやぎをやるんだ。すると島田はプリプリして吾輩の許に抗議を申し込んで来たものだ。

 吾輩も島田が折角抗議を申し込んで来たんだから一寸注意してやつたんである。すると三人の連中は部屋を変へたはよいが、島田の部屋の方に聞えよがしに却つて盛んにやり出したんである。とうとう一晩島田を凹古まして痛快がつて居たよ。どうもあの頃の若い者には偉いものが居たテ ハハハハ。」

 窓外天を仰げば白雲層をなし、潰れては又峰を築く。双鶴池に遊び、小禽籠に戯る。雑談心懐を暢ばし、笑声歓を唆る。軽風一陣卓上の冷茶に小波を立て乾坤閑々たり。

 

 

 

 

 

 

【東渓文庫】ヘルダーリン詩集(1/13)

Hölderlin著、吹田順助訳「ドイツ語対訳叢書」

 

An die Natur 自然に

Da ich noch um deinen Schleier spielte, 

われ未だ汝の面紗(ヴェール)の周りに遊びゐたりし時、

Noch an dir wie eine Blüte hing,

汝に花の如く寄り縋りし時、

Noch dein Herz in jedem Laute fühlte, 

Der mein zärtlichbebend Herz umfing, 

わがいたいけにもうち顫ふ心情を包みつる

一々の声音の中に、汝の心情を感じたりし時、

Da ich noch mit Glauben und mit Sehnen

Reich, wie du, vor deinem Bilde stand, 

われ未だ信仰と憧憬とを持ちて、

汝の如く豊富(ゆたか)に、汝の画像(ゑすがた)の前に立ちゐたりし時、

Eine Stelle noch für meine Tränen,

Eine Welt für meine liebe fand;

われ未だわが涙を容るる余地を、

わが愛の世界を見出せし時、

Da zur Sonne noch mein Herz sich wandte,

わが心情(こころ)未だ太陽のかたに向ひつる時、

Alz vernähme seine Töne sie,

——心情の音響(ひびき)を彼女の聞きもやすると——

Und die Sterne seine Brüder nannte,

更に星どもをその兄弟(はらから)と呼べりし時、

Und den Frühling Gottes Melodie,

春を神の旋律(しらべ)と呼びゐたりし時、

Da im Hauche, der den Hain bewegte,

森吹き通ふ息吹の中に

Noch dein Geist, der Geist der Freude sich

IN des Herzens stiller Welle regte:

未だ汝の精神、喜悦(よろこび)の精神の、

心情の静けき波の中に生動(うご)きゐたりし時、

Da umfingen goldne Tage mich.

その頃は金色の日、われを包みゐたりき。

 

Wenn im Tale, wo der Quell mich kühlte,

涼しき泉湧き出づる渓谷の中に、

Wo der jugendlichen Sträuche Grün

若やげる灌木の緑色(みどり)、

Um die stillen Felsenwände spielte

静けき岩壁の周りに漂ひ、

Und der Äther durch die Zweige schien, 

エーテルの光、樹枝を通して輝けるところ。

Wenn ich da, von Blüten übergossen,

そこにわれ、降りそそぐ花の香に、

Still und trunken ihren Othem trank,

人知れぬ酔心地になりにし時、

Und zu mir, von Licht und Glanz umflossen,

光線(ひかり)と光輝(かがやき)とに包まれしわれをめがけて、

Aus den Höhn die goldne Wolke sank:

黄金なす雲の沈み来りし時、

 

Wenn ich fern auf nackter Heide wallte,

われ、遠く立木もなき華野を彷徨ひし時、

Wo aus dämmernder Geklüfte schoß

薄暮(おぼめ)ける断崖の胎内より、

Der Titanensang der Ströme schallte

淙々たる水流(ながれ)の歌の響き来り、

Und die Nacht der Wolken mich umschloß,

雲の夜われを蔽ひ隠せしところ。

Wenn der Sturm mit seinen Wetterwogen

荒波の如き暴風(あらし)、

Mir vorüber durch die Berge fuhr

山々を通して吹きすさび、

Und des Himmels Flammen mich umflogen:

天空の火焔わが周りに閃きし時、

Da erschienst du, Seele der Natur!

その時汝は現れぬ、自然の霊よ!

 

Oft verlor ich da mit trunknen Tränen

Liebend, wie nach langer Irre sich

In den Ozean die Ströme sehnen,

Schöne Welt! in deiner Fülle mich:

長き放浪(さすらひ)の末つひに

河流の大海へ慕ひ寄る如く、

幾度かわれ、汝の充実の中に、

美しき世界よ! 恍惚の涙に暮れにけむ。

Ach! da stürzt' ich mit den Wesen allen

ああ! その時こそわれは万象と共に、

Freuding aus der Einsamkeit der Zeit,

時代(このよ)の寂寥を遁れ出でて、

Wie ein Pilger in des Vaters Hallen, 

神父(ちち)の御堂に巡礼の馳せ入る如く、

In die Arme der Unendlichkeit.——

「無限」の腕(かひな)に寄り縋りつれ。——

 

Seid gesegnet, goldne Kinderträume,

祝福を受けよ、金色の幼児(おさなご)の夢どもよ、

Ihr verbargt des Lebens Armut mir,

汝達はわれに生の貧弱(まづしさ)を蔽ひ隠しぬ、

Ihr erzogt des Herzens gute Keime,

汝達は心情(こころ)の善き萌芽(めばえ)をば生育(おふした)てぬ、

Was ich nie erringe, schenktet ihr!

わが力の達し得ざるものを、汝達はわれに授けぬ。

O Natur! an deiner Schönheit Lichte,

おお、自然よ! 汝の美の光をよすがに、

Ohne Mühe und Zwang, entfalteten

容易(やすやす)と、おのづからにも

Sich der Liebe königliche Früchte,

愛のめでたき果実(このみ)はみのりぬ、

Wie die Ernten in Arkadien.

アルカディアに於ける収穫(とりいれ)の如く。

 

Tot ist nun, die mich erzog und stillte.

われを育て、わが心を和めしもの、今は死に果てぬ、

Tot ist nun die jugendliche Welt,

若やげる世界、今は死に果てぬ、

Diese Brust, die einst ein Himmel füllte,

一つの天空を包みゐしわが胸も、

Tot und dürftig wie ein Stoppelfeld;

切株の野の如く今や寂し。

Ach! es singt der Frühling meinen Sorgen

ああ! 春はわが憂をば慰めむとて、

Noch, wie einst, ein freundlich tröstend Lied,

その昔(かみ)の如くなつかしき歌を歌へど

Aber hin ist meines Lebens Moigen.

さはれ、わが生の朝はいづこ、

Meines Herzens Frühling ist verblüht.

わが心情(こころ)の春は、今いづこ。

 

Ewig muß die liebste Liebe darben,

永久の飢餓(うえ)こそ愛の定めか、

Was wir lieben, ist ein Schatten nur,

吾等の愛するものも、あはれ、一つの影か。

Da der Jugend goldne Träume starben,

青春の金色の夢ども死に果てし時、

Starb für mich die freundliche Natur;

なつかしき自然も共に死に果てぬ。

Das erfuhrst du nicht in frohen Tagen,

哀れなる心情(こころ)よ、楽しかりし日には、

Daß so ferne dir die Heimat liegt,

汝の故郷かくも遠しとは、汝も思はざりけむ。

Armes Heiz, du wirst sie nie erfragen,

汝はとはにそれを尋ねざるべし、

Wenn dir nicht ein Traum von ihr genügt.

さはれ、その夢のなぞかく楽しきや。

 

An Herkules ヘルクレスに

In der Kindheit Schlaf begraben

幼年時代(おさなどき)の睡眠(ねむり)に埋もれて、

Lag ich, wie das Erz im Schacht;

竪坑の礦の如くわれは横はりき。

Dank, mein Herkules! den Knaben

Hast zum Manne du gemacht,

忝し、わがヘルクレスよ! 汝は

少年を男子(をのこ)と化しぬ、

Reif bin ich zum Königssitze

われは玉の座に適(ふさ)はしくなりぬ

Und mir brechen stark und groß

Taten, wie Kronions Blitze

Aus der Jugend Wolke los.

クローニオン(注:ゼウス)の雷光(いなづま)の如き、

壮烈なる行(わざ)は、わが青春の雲より

輝き出づるにあらずや。

 

Wie der Adler seine Jungen,

荒鷲のその仔らを、

Wenn der Funk' im Auge glimmt,

彼等の眼に火花燃ゆるとき、

Auf die kühnen Wanderungen

In den frohen Äther nimmt,

爽快なる灝気(エーテル)への

雄々しき漂泊(さすらひ)に導くごとく、

Nimmst du aus der Kinderwiege,

汝は嬰児(みどりご)の揺籃(ゆりかご)より、

Von der Mutter Tisch und Haus

母の家より、食卓より、

In die Flamme deiner Kriege,

汝の戦争(たたかひ)の火焔(ほのほ)の中へ

Hother Halbgott, mich hinaus.

われを連れて行く、汝、半神よ!

 

Wähntest du, dein Kämpferwagen

汝の戦車の轟き、

Rolle mir umsonst ins Ohr?

空しくわが耳を掠むると思ふや?

Jede Last, die du getragen,

汝の荷へる重荷はことごとく、

Hub die Seele mir empor.

わが魂を奮ひたせぬ。

Zwar der Schüler mußte zahlen;

元より徒弟は犠牲(いけにえ)を払はざるをえざりき。

Schmerzlich brannten, stolzes Licht,

Mir im Busen deine Strahlen,

汝の光線はわが胸ぬちに、

誇らしき光よ、痛ましくも燃えさかりぬ、

Aber sie verzehrten nicht.

さはれ、彼等はわが身を焼き尽さざりき。

 

Wenn für deines Schicksals Wogen

汝の運命の波浪(なみ)を打切るべく、

Hohe Götterkräfte dich,

神々の崇高(けだか)き力、汝を、

Kühner Schwimmer! auferzogen,

手だれの遊泳者(およぎて)よ、育(おほした)てけむ。

Was erzog dem Siege mich?

さはれわれを勝利者となせしは何者ぞ?

Was berief den Vaterlosen, 

Der in dunkler Halle saß,

Zu dem Göttlichen und Großen,

Daß er kühn an dir sich maß?

ほの暗き柱廊の中に坐りゐたる

父なき者を、神々しきもの、

優れたる者に育てしは、何者ぞ?——

おほけなくも汝と力を競ひ得る程に。

 

Was ergriff und zog vom Schwarme

Der Gespielen mich hervor?

何者ぞ、遊び友達の群より、

われを捕へて引き出せしは?

Was bezog des Bäumchens Arme

Nach des Äthers Tag empor?

何者ぞ、小さき樹の腕をば、

灝気の光の方へ向はしめしは?

Freundlich nahm des jungen Lebens

若き生命(いのち)を親しくはぐくみしは、

Keines Gärtners Hand sich an,

いかなる園丁の手にもよらず、

Aber kraft des eignen Strebens

さはれ自己(みづから)の努力(ちから)によりて、 

Blickt' und wuchs ich himmelan.

われはみ空さして成長(ひととな)りぬ。

 

Sohn kronious! an die Seite

クローニオンの息子(こ)よ、われと汝と、

Tret' ich nun errötend dir,

立並ぶは面映ゆけれど、

Der Olymp ist deine Beute;

オリュムプは汝の獲物なり、

Komm und teile sie mit mir!

来つてわれとそれを分たずや!

Sterblich bin ich zwar geboren,

われは元より果敢なき人の子、

Dennoch hat Unsterblichkeit

さはれ不死をば

Meine Seele sich geschworen,

わが魂は自らに誓ひぬ

Und sie hält, was sie gebeut.

自らの誓ひを堅く守るわが魂は。

【東渓文庫】アンブローズ・ビアス「夏の一夜」

アムブローズ・ビヤース著、江戸川乱歩訳「夏の一夜」

 

 埋葬されたといふその事実も、ヘンリー・アームストロングにとつては、自分が死んだのだといふ証拠にはならないらしかつた。平常から、彼は、物事を容易に信じない人間だつた。ほんたうに埋葬されたのだ、といふその事だけは、彼の官能が証人となつて、彼に強ひてそれを認めさせた。彼の姿勢——板を背とし、両手を喉の上で組合せ、少しもその位置を動かないでも、容易に切れさうな、何ものかで縛られてゐる——厳重な幽閉、墨のやうな沈黙、それ等の事実は、反駁することを許さない証拠そのものだつた。それに就いては、彼も意義なく受け入れた。

 然し、死。——それは違ふ。彼はただ大へん、大へん、病気が悪いのだ。彼は病弱者の、朦朧とした意識よりほかには何物ももたず、自分の上に降り掛つて来たその世の常ならぬ運命に対しても、さして心を痛めはしなかつた。無論彼は哲学者ではなかつた。——ただの、平凡な、常識的な、そして、恰もその時には、病理学に対しても、至つて無関心な、一人の人間に過ぎなかつた。彼が非常に怖れてゐた器官は、その感覚を失つてゐた。だから、彼は、近き将来に対しても、少しも特別の危惧を感じはしないで、ぐつすりと眠りに落ちた。そして、ヘンリー・アームストロングを取巻いて、総てのものは平和だつた。

 しかし、頭の上では何事かが進行してゐた。それは、真暗な夏の夜だつた。稲妻のひらめきが、しばしば、音もなく、西のはうに垂れこめてゐる雲を焼いた。嵐が来さうであつた。これ等の一閃は、イルミネエションをまたたかせながら、墓地の記念碑や、墓笠石なんぞを、おそろしい明白さを以つて、画しだした。そして、それ等のものを、をどりださせさうに見えた。それは、正気のものなら、とてもこのんで、墓地なんぞを、さ迷ふことの出来る夜ではなかつた。だから、其処で、ヘンリー・アームストロングの墓をあばいてゐた三人の男達が何の危険も感じなかつたのは、最もだつた。

 彼等のうちの二人は、数哩彼方なる医学校から来た若い医学生だつた。三番目のは、ジェスといふ名で知られてゐる大男の黒ん坊だつた。長い間、ジェスは墓地のまはりに、何でも屋として雇はれて来た。そして「そこにゐる総ての霊魂」を知つてゐるといふのが、彼のお得意の冗談だつた。彼の今してゐる仕事から推して、その場所が、死亡登記簿も多分示してゐるだらうが、さう賑やかなところでないことは、容易に推察することが出来た。

 塀の外側には、公衆道路から、一番懸離れた土地の一隅に、馬とぼろぼろの車とが、待つてゐた。

 発掘の作業は、さう困難ではなかつた。数時間前に、やはらかく墓を満したばかりの土地は、手答へもなく、直ぐに掘り上げられた。墓穴から、柩を取り出すことは、それほど容易ではなかつた。しかしそれ取り出された。それが、ジェスの臨時収入となるのだつた。彼は気をつけて蓋の栓釘をとると、それを傍へのけた。黒いズボンと、白いシャツのからだがさらされた。そのとたん、空気が炎と跳ね、雷の霹靂が世界を聾し、そして、ヘンリー・アームストロングが静におきなほつた。

 呂律も廻らぬ叫びを挙げて、男たちは、恐怖のうちに、各々違つた方角へ逃げて行つた。世の何ものを以てしても、彼らのうちの二人を、引返へすやうに説伏せることは出来なかつただらう。然し、ジェスは異つた種族の人間だつた。

 朝の灰色の中に、心配のために憔れ、蒼ざめ、彼らの冒険の恐しさから、未だに血をかき乱してゐた二人の学生たちは、医学校で落遇つた。

「あれを見た?」一人が叫んだ。

「おお、見たとも——どうしたらいいのだらう。」

 彼らは建物の後部の方へ廻つて行つた。そこに彼らは、ぼろ馬車に取りつけられた一頭の馬が、解剖室の扉(ドア)の側の門柱に繋がれているのを見た。機械的に彼らは、その室へ這入つて行つた。汚い薄くらがりの中のベンチに、黒ん坊のジェスが坐つてゐた。彼は、すつかり眼と歯をむき出して、にやにやと笑ひながら立上つた。

「俺ァ、褒美を貰ひてえと思うて、待つて居ましただよ。」と彼は言つた。

 長いテーブルの上に、彼の一撃のため、頭を血と泥とで汚した、ヘンリー・アームストロングの体が、露に伸びて、横はつてゐた。

【東渓文庫】北原白秋「碓氷嶺」

北原白秋「碓氷嶺(うすひね)」

 

 二三年前、四月の末だつたが、私は熊の平から碓氷嶺の旧道を坂本の方へ、一里半ばかり、ひとりでぽつりぽつり下つて来たことがある。北信の追分や沓掛あたりはまだ落葉松に萌黄の新芽が出かかつたばかりで、柴や薄や、ただほうほうとして冬枯のあぢきない日あたりであつたところが碓氷の南がはにかかると、もう若葉の渦の赤金と、鮮緑とで、裏妙義からこちらへかけて、目に入るばかりの山山がむくむく煙霞の中に盛り上つて耀き合つてゐた。そのところどころにはまた燃え立つばかりの岩躑躅が織り交つて、ある峰の如きはその頂辺までがさうした躑躅で、その紅紫がいよいよ青い青い大空をはつきりと劃つてゐた。

 私は驚いた。冬から夏へ一と飛びだと。

 旧道は山が深くて閑かであつた。誰ひとり通る者は無かつた。いや、一人だけ子供が何か片手に包みをさげて、遥かの九十九折を下からのぼつて来た。紅い躑躅や黄の山吹の咲き照つた岨路を小さな影は見えながら、なかなか此方へ近づいて来さうにもなかつた。眺め眺め来るのであつた。やつと出会つたところで、その子供は固くなつてお辞儀をすると、すれちがひに上へ上へとのぼる。私が見返ると、その子供もまた行き過ぎてから一寸と振り向いて、それから次第に巒気の深みへ消えて行つた。神仙の住居でもその頂きには匀(ととの)つてゐさうに見えた。

 楓ももう幽かに紅い飛行機型の花をつけそめてゐた。日ざかりの若葉のかげを、しんかんとした青い光線のちらちらをいつくしみながら私は歩いてゆく。瀬の音がする。熊蜂の翅音がする。黄金の蟲が唸りながら金色の毫光を放つて飛んでゆく。四十雀が翔りながら啼いて連れる。高いところで電車の軋みらしいのが長く続いてのぼる。遠い別世界の物音のやうなあの軋みが柔かに響いて、それも消えると、また私はただ一人で歩いてゐるのだなといふ、それも穏かな明るい淋しい心地で、また我が足音に我と耳傾けてゆくのであつた。

 と、私は思はず目を瞠つて佇ち留つた。それはあまりに神采奕奕としてゐたものであつた。あまりに不思議な、意外なことに遭遇つたのであつた。

 白い鶏であつた。

 白い鶏が、人ひとり通らぬその山中の閑寂境にヒヨッコリと向うから歩いて来たのであつた。岨は高し、下の幽かな谿底の深潭にはただ碧い蒼い水の一面が見えるのみであつた。

 白い鶏は平安に、極めて静かに、温かな柔かな足どりを見せて、求食(あさ)り、求食り、私の方へと歩いて来るのであつた。白く白く耀いて来た。紅い鶏冠をうち振りながら、ココココと絶えず声を出して来た。

 私は撲たれて了つた。私の目はたしかに礼拝してゐた。

 それからまた黙黙として下つてゆく私の前に、今度は十二三羽の軍鶏や黒い矮鶏があらはれて来た。それらが岨路いつぱいに家族を成して群らがつてゐた。高い崖のふちへ出ては蓬を啄んだり山吹の花をつつきちらしてゐた。

 コケコツコウ、トウヅルヅウ。

 長い緩るい朗らかな雄鶏のこゑが起つた。

 見ると、其処は碓氷のとあるトンネルの切れ目であつた。たつた四五間の切れ目であつた。峰と峰とは迫つてゐた。だが若葉が萌え立つてゐた。紅い深山躑躅が照り合つてゐた。

 線路があり、柵があり、柵には青と赤との信号機が引つ掛けてあつた。トンネル番の小舎があつたのである。

 小舎の前には、頭でつかちの恒友式の男の子や、劉生式のしやくんだ稍奇異な感じのする女の子などが三四人、(おそらく兄妹であつたらう。)横に一列に並んで、私を見ると恭々しく敬礼をした。

 私も帽子をとつた。

 ああ、此処も矢つぱり人が住んでゐたのかと、私はそのとき何かしらほつとしたのであつた。

 

 碓氷嶺の南おもてとなりにけりくだりつつ思ふ春のふかきを

 深山路はおどろきやすし家鳥(いへどり)の白き鶏(かけろ)に我遇ひにけり

 日はかすめ清(さや)にこごしき妙義嶺の檜山のなだり夏たちにけり

【東渓文庫】横山大観「日本美術の精神」

日本美術の精神

 

〇本篇は、昭和十四年四月廿二日、日本放送協会より独逸に放送せらるる拙稿にして、前年九月ヒトラー、ユーゲント一行に対してなせる講話(日本美術の精神)に、聊か蛇足を加へたるものなり、且独訳に便ならん為に、二三注釈をも添へたり。

 美術はナシヨナリティ、トラデイシヨン及びネーチヤルの三つが要素となつて表現せらるるものでありますから、異なる国体、異なる伝統、異なる自然を有する世界各国に、各異なりたる其国特有の芸術が生まれ出る事は当然であります。然しながら東洋と西洋とは其芸術の表現の根柢に於て大なる相違があるのは否めない事実と思ひます。若干議論の余地はありませうが、西洋画は概して実感本位に立脚致しまして対照の視覚的効果に重きを置くと云ふ意味のものが多いやうであります。

 然るに日本画の表現は特異なる東洋精神の伝統に根ざしまして、幾千年来研鑽を進められ、高く主観的理想から発出するのでありますから、其描写の方式は根本から全く相反し、洋画が客観界を写実的に説明するのと違ひまして、作者の胸臆(一に之を胸中の邱壑といひ、又画論に、意は筆先に在りと云つてゐます、之は未だ表現するに至らざる前に作者の胸中に抱懐する所の画想を謂ふのであります)を端的に(不可言的なり、言説を用ふることなく直裁的に、至純に、赤裸にの意なり)如実に吐露するものでありますから、日本画の道たるや、実に窮極する所なき永遠の大道なのであります。換言しますれば有形の物象を籍り来りまして無形の霊性を表現するのが日本画であります。即ち物象と其中に潜む所の無形の霊性との渾然一如たる相(スガタ)を象徴的に表現するのであります。日本画の表現は只対照を如実に描写するを以て能事とは致しません。対照の中に在る所の精神を把握するのでありますから、対照の形色を省略し簡易化せんとします、その結果必然的に象徴化が行はれます。而もこれは対照の中に内在する所の精神を把握する一の便法でもあります、画論に之を伝神と申してゐます。伝神とは乃ち対照の精神を把握し表現するの謂ひでありますが、更に一歩を進めて対照の精神は乃ち作者の胸臆に抱懐する所の幽玄微妙なる画想と共鳴し一致することに於てなる伝神なる者が始めて主観的意義を帯び来り、益々芸術的光彩を発揮し得るのであります。これを画論では気韻生動と申して居ります。気韻は人品の高い人でなければ発揮されません。人品とは高い天分と教養を持つ人の謂ひであります。日本画の窮極は気韻生動に帰着するのであります。気韻生動は乃ち作者の霊性の発露でありますから、自然対照の形色を重視せずしてそこに取捨が行はれます。象徴化とは取るべきを取り捨つべきを捨つるの謂ひであり、従つて象徴化は伝神的表現に於ける便法であるのであります。

 例を二三挙げて申しますならば、花鳥画の場合に於きまして、吾等日本人は絢爛なる画面の中にも気品の高雅とか、情緒の豊潤とか、生気の溌溂とか、風格の雄渾とか申すことに巧思(思想感情の謂ひであります)を費やしまして、視覚に映ずる以上に其奥底に在る精神的要素を見逃すことをしないのであります。山水画の場合には於きましては、春山は笑ふが如く、夏山は怒るが如く、秋山は粧ふが如く、冬山は眠るが如しと云ふ古人の語は切実に四季の山の境趣を言ひ表はしてゐるのでありますが、之を絹素の上に生動せしむるには、其形象の中に潜在する霊性を把握するに非ざれば、此の四季の山の風韻を髣髴せしむることは出来ないのでありませう。不二霊峰の如きも其筆墨が如何に技巧上に於て只錬磨巧妙を極めましても、其形象の外なる神韻を伝へ得ざれば彼の崇高秀麗なる偉容を描出する事は出来ないのであります。

 東洋画の線は有形的には線でありますけれども、而も其中に形以上に深い生命を蔵してゐるのでありまして、強弱硬軟は固より、喜怒哀楽、崇高卑野の感覚まで皆この線の表現如何に依つて其意図を現はす事が出来るのであり、之は作家の個性は勿論、各時代の特相に至るまで、以下様にでも現はされるのであります。東洋画には古来線と云ふ言葉は無く、筆と申してゐます。筆とは只物象を劃するラインでは無く、毛筆を以て墨の濃淡渇潤細大広狭長短を自在に駆使したものであります。又この外に筆意と云ふものがあります。筆意は原と書法から転化したもので、一筆毎に起止転折があり、生物の如きもので、之が極度に短くなつたものは点であります。即ち東洋画の表現法は此の点筆の連続によつて構成せられ、而して其全体が生命ある活物であるのは申すまでもありませんが、之を構成する所の一点一筆までも皆生命ある活物であり、それが作者の無限の霊性を寄托含蓄するものであるから、単なるラインではないが、古今洋風に之を線と申したまでであります。日本画にも点筆を用ひずして西洋の油画又は水彩画(ウォーター カラー)に類する没骨の法がありますが伝統的には筆墨を重視するのであります。

 紙や絹(日本画には油絵に用ふるカンバスや水彩画に用ふる堅厚なる紙は用ひません。皆絹又は紙を用ひ、紙質は変化極めて多く、多種多様のものが作家の嗜好に従つて用ゐられてゐます)の筆墨なき所、即ち余白を素地のまま残して、其素地の白さを山水画ならば天や水や距離に見せまして乾坤(大地と云ふに同じ)の広大深淵を物語ります。花鳥画の場合では余白の中に季節の情調までを漂はせまして、余白なるものが描かれたる部分以上に重大なる意味を持つのが即ち日本画であります。余白を素地のままの白さに残しまして却て一層深い真理を不画(カカナイ)の画として発揮するといふのは東洋精神本来の幽玄虚淡なる悟より来るものでありまして、老荘の学や禅宗の無為自然の道と相契ぶものであります。老子と荘子の学は古代支那で勃興した思想で無為恬淡をモツトーとして世辞に拘はらず、山林に隠遁して大自然と融合帰一せんとするもので、我邦には此の思想は古より流入し且発達しました。又印度の釈迦に発した仏教の中に於て最も特色のある禅宗は、学問の力によつて一歩づつ内観を深めんとする北宗と、学問によらず、或る機縁によつて瞬間に真理を体得し、生死の一大事を悟得する南宗と両派がありますが、老荘と共に皆その到達する処は悟であります。即ち言説文字の外に於て一に体認によるのであります。由来老荘及び禅宗の思想は深く日本人の生活の奥底に浸潤してゐます。然しながら日本人の清純恬淡にして自然を楽しむ国民性は之等外来思想によつて培はれたのではなく実に先天的でありますので、此の両つの思想は最も能く日本の国民性と適応し、極めて自然的に吸収消化され且発達を遂げたのであります。大体老荘及び禅宗の思想は人事を塵俗として却け、一向専念に大自然と融合帰一せんとするのでありますから、勢ひ自然物即ち山水花鳥の如き画に多くの興味を持つのであります。

 又東洋には墨絵と申しまして墨一色丈で描く絵があります。これは作者の性格の高下、思想の深浅乃至清濁等に至るまで此の墨一色によつて端的に現はされるのであります。(東洋には墨占と云ひましてただ墨で一の字を書いた丈で其人の過去は勿論、将来の運命まで占ふの法があります。矧や筆墨を駆使して描いた画に於て作者の性情が表はれないことは断じてありません。)墨には五彩ありと申しますが、墨はただ黒一色でありながら其中には濃淡渇潤の千変万化があり、これが五彩以上の複雑さを現はしまして、色彩を超絶したる実在感を端的に微妙に表現するのであります。従て東洋画は其深遠高雅なるもの程熟読玩味して肉眼で視る以上に心で読むことを必要とする芸術なのであります。東洋には読画といふ言葉があります。之は画面の形態色彩を見てこれを感受するのでなくして、描かれたる画をヒントとして作者の表現とする意図に心的に触れんとすることであります。即ち墨一色で描かれたる花を視ても、観者は之を媒介として或は赤く或は黄なる花と見え、又は緑の葉、褐色の枝と感ずるのであります。これは画そのものによつて感覚を喚起されたのでなくして、観者の胸中に在る観念が画を媒介として惹き起され喚び醒されるので、即ち説明でなくして悟であります。墨の五彩は用墨の妙によつて発揮されますが、之はただ墨色の変化に過ぎません。真の変化は作者が自然界の形色を墨一色に単純化し象徴化した処にあるので、其精神的過程は心読する観者の胸中に於て翻訳せられ還原せられて作者の意思と共鳴一致するに至つて初めて五彩が煥然として眼底に映ずるのであります。凡そ高尚なる日本画、殊に水墨画を観るには其れ丈の教養が必要であります。若し教養のない者が観たならばただ一塊の墨図としか見えないのでありませう。而も墨画によつて五彩を感得することが出来ましても、それ以上に精神的の或る者を感受し得なければ未だ真の読画とは申されません。これ又禅宗の悟と一途であります。

 日本には古くより人形芝居といふものがあります。其人形は単なる木偶に過ぎませんが、人形遣ひが其道の達人であり名人であるなれば、其人形は率然として或は舞ひ或は踊り、優れたる俳優の演技にも劣らざる所作を見せまして、観客は只人形の生けるが如き妙技に恍惚となり、背後に在る人形遣ひは全然吾等の視覚に入らぬのであります。これは演者の魂が人形と渾然一如となります為に、人形は茲に人間化して其一挙手一投足は観客の心の琴線に高く強く響くのであります。これは形象の芸術でなくして魂の芸術であるからであります。人形芝居は浄琉璃を台本と致します。人形芝居は象徴芸術でありますから、台本たる浄琉璃に精通し其語り口にまで多くの興味を持つに非ざれば十分に理解することは出来ません。而して之に精通した人が浄琉璃丈を聴いた場合に、人形芝居は見なくとも其演技は眼底に髣髴するでありませう。これ又読画と一途であります。一木一草を描きますにも、作家自らの全精神を奮ひ起し、生命力を傾倒して表現せられたる作品にこそ其処に初めて作家の気魂が宿り、烈々として観者に迫るものがあるのであります。

 今茲に我が日本は東洋平和の聖戦の為に

陛下の臣民の多数が死生を超越して赤化の支那と戦つて居ります。日本に於ける忠臣の表範たる大楠公の七生報国の念を以て戦つて居るのであります。是こそは強く正しき我が大和魂の発露でなくて何でありませう。此の魂こそは古来日本の天地に澎湃として漲つてゐる正気であります。美術に於ても亦同じく此の正気の顕現せられたる作品のみが我国に於ては独り尊ばれるのであります。古より日本に伝はる所の名品傑作と呼ばるる多くの作品は皆先賢の尊く強く正しき此の魂の芸術でありますから、千古不滅であり、其作品の光は燦として今に輝き、我が民族精神文化の向上に偉大なる感化をあたえてゐるのであります。魂の芸術、正気の芸術こそは我が日本の誇とする所であります。

 現代の日本は過去七十年間、欧羅巴の物質文明の衣を無自覚に慣用して喜んでゐたのでありましたが、茲に未曾有の時局に際会致し、精神文化方面に於きましては漸く悟る所がありまして、この身に合はぬ衣は次第に脱ぎ捨てられ、生々たる大和魂の溢れたる真の日本の姿に還らなくてはならない時に際会したのであります。日本美術界も亦同様に芸術家の天職と本然の使命達成の為に此の魂の作品、正気の芸術を要求する一大変革の機運に際会してゐるのであります。世界に比類なき我が尊き国体に則り、我が民族の至高なる精神を代表し、而も大乗的道義の上に創造せられる者こそ、近き将来に興らんとする新興日本の新芸術の姿でありませう。

 抑々我国名画の徳は古の賢者を写しては永く節を興し仁義忠孝を奨め、矚目の景勝を描きては深く妙を現はし、山川風物を愛するに資するのであります。即ち絵画の使命は観る者をして心を遠く画裏の妙処に遊ばしめ、天地の思を解し、人倫の正を弁じて性霊の善美を全うせしむるのであります。これは雄偉なる高人士夫に非れば断じて為し能はないのであります。仍ち丹青の道は元より筆端の末枝に非ずして、古今の道に通じ民族の本然性に基き、個性の胸臆より発しなくてはならないのでありますから、各時代の天才が能く古道(古来の道徳、伝統、学問なり)を受け而して妙に新意を出だしたのは即ちこれ山深くして泉の常に新たなるが如くであります。画を以て逸楽の具となし、補壁(カベカクシ)の用と為すものは其本然の使命を弁へざるものであります。一国には一国特有の文教があり国風があります。夫れ画は教化を成し、人倫を助け、神変を窮め幽微を測り、六籍と功を同じくすとは古人の語であります。万邦に秀でたる尊き我が国体を念ひ、我邦の画人たる者は画筆によりて国思報謝の誠を致すべきは固より当然であり、今後益々自粛自戒し以て崇高なる新日本芸術を開拓するは吾等の任務であります。

 画の尊き所以のものは作者が尊き故であります。絵事の理義の高く尊き所以のものは古よりこのかた斯道の名匠が尊く且高かつたが為であります、帝王公卿士夫学士にして画を作り、始めて人文至高の境に到達したるものは尠くないのであります。人品己に高し、気韻高からざるを得ず、気韻己に高し、生動至らざるを得ず、凡そ画は必ず気韻周ねくして方(はじ)めて珍と呼ばれむ、然らざれば巧思を竭すと雖もただ衆工の事に同じ、画と曰ふと雖も而も画に非ずと古人は云つてゐます、又初めて書学を践みて而も其筆底に創意せらるる所の高興幽懐、深理奥義は聖人の経書(六経のことなり。詩、書、易、春秋、礼、楽なり、その中楽経は秦代に亡びて伝はらず、故に今四書(大学、中庸、論語、孟子なり)五経と云ひ慣はして居ります)を著すの徳(経学は修身斉家治国平天下を目標とするが故に徳と云ふ)に譲らざるものがあります。画格(画の品格をいふ、一に画品ともいふ、神品最も尊く、次ぎに妙品、能品を挙げる、別に逸品があります、これは神妙能の三品の外、格外に超越したるもので、画技よりは人品極めて高く常軌を以て律すべからざる者を云ふのであります)高越なるとともに義を履み仁を行ふ事に於きまして王侯相将に遜らざるものがあります。丹青に於ける人と芸と相関することはそれ程大きいものであります。古人云ふ、徳成りて上、芸成りて下と。画は即ち道であり、六籍と功を等しくするものでありますから、無論下賤の輩の為すべきでありません。仁人義士王佐の器あるの士が筆を執つてこそ初めて尊いのであります、ただ技のみ工みなる者は画工といふの外はありません。

 芸術と民族性とは相俟つの緊切なること香気の花に於けるが如く、梅花にして梅香を発し蘭花にして蘭香を出だすに異りません。個性と作品とは因縁頗る自明でありまして石の音の石よりし、玉の音の玉よりするに等しいのであります。

 夫れ天禀英雄児にあらずして龍虎の図(龍は古より神物として崇められ、天子の象徴とせられ、これに対し雄猛なるは独り虎を推します)は為し難く、哲人(賢智の人、聖哲の人の謂ひで、衆人の仰望する所の人であります)の懐(衿懐、思想)無くして古賢(古の聖人賢者をいふ往昔は聖賢の像を宮室に画いて王者の戒めとしました)の像は写し難く、雅士(俗人の反対)に非ずして花卉(かき)の美は描き難く、好友を喜ぶものに非ずんば翎毛(禽鳥の類)の嬉嬉(喜び囀る態をいふ)は成し難く、古学(古の文学は士人の性情を陶冶し雅懐を涵養する為にせられました)を慕ふ者に非ずんば烟浦の遠き(山水の幽遠縹渺たる状をいふ)を現はし難いのであります。懦夫(気節なき男子をいふ)にして峭峻(山の高く険しくして攀ぢ難き状をいふ)を図し、貪奴(鄙呑にして絶えて清高崇傑の気なき者をいふ)にして清流(清流に足を濯ぐは高士のこと、離騒の語なり)を作らむとするも其任に非ざるや言を俟たずして明かであります。全く人格卓然(高く衆人に擢きんでること)たる雄偉の男児に依りてのみ日本画精神の大道は拓かるるのであります。

【東渓文庫】三木清「今日の倫理の問題と文学」(3/3)

三木清『続哲学ノート』より「今日の倫理の問題と文学」

 

 いまもし人間を一面的にパトロギー的に捉へたとすれば、如何であらうか。パトスはロゴスとは反対の方向をもつてゐる。ロゴス的意識は、感性知覚から思惟に至るまで、すべて対象を含んでゐる。それは高まれば高まるだけ、いはばいよいよ対象を含み、いよいよその対象性もしくは客観性を増して来る。これに反してパトス的意識は深まれば深まるほど、いはば対象を失ひ、次第に無対象となつて行く。一方は次第に対象的となり、他方は次第に無対象となるところに、ロゴスとパトスとの根本的な対立が現はれる。運命の意識といひ、現在の意識といふも、根本において、みなかやうな無対象なパトスである。パトスはそれが深まるに従つて無対象となるところから、人間を主としてパトロギー的に捉へた人々は、ニーチェでも、キェルケゴールでも、或ひはまたハイデッゲルの如きでも、みな「無」といふものに突き当つた。この無はそれ自身性格的であつて、それぞれ性格的に解釈されてゐる。ニーチェにとつては輝く諸々の星を産む混沌であり、キェルケゴールにとつてはそれは「死への病気」であり、ハイデッゲルにとつてはそれは現存在の「有限性」にほかならない。この無からニヒリズムも出て来るであらう。東洋思想はおほむねパトロギー的であつて、従つて無がその思想の中心であつた。この無はそれぞれ性格的に体験されて古来日本文学の基調をなしてゐる。しかしここでは無は多くパトス的の無ではなかつたやうである、なぜなら東洋においては、ストアの倫理学でἀ-πάθειαが徳とされたやうに、パトスなきことが徳とされたからである。尤もこのやうなアパティアといふことも、もともとパトスが無対象となり得るものであるところから可能であらう。そのことはどうであるにしても、我々がここで問題にしてゐるのはパトス的な無であり、そしてパトスはロゴスと対立してをり、そして倫理は根本的にはこのやうな対立のうちに考へられるのである。デカルトは会議から出立して cogito ergo sum といふことに突き当つた。それによつて彼が求めた確実性に到達した意識は結局ロゴス的意識である、このものにおいては明晰性と判明性とが与へられてゐる。ロゴス的意識はフッサールの純粋意識の如きものとして明澄性を含むことができる。そこでブレンターノはデカルト的な意識のうちに道徳的認識の根源を求め、この認識の明視性を示さうとした。これとは反対の方向に、即ちパトスのうちに倫理を考へる人々は、しかるにかくの如きロゴス的な明澄性に抗することに彼等の倫理的情熱を見出してゐる。「主観性のみが真理である。」とキェルケゴールはいふ。そして彼はそれを次の如く説明する、「激情的な内面性の領有のうちにしつかり捉へられたものとしての、客観的不確実性、それが真理である、それが実存者にとつて存する最高の真理である、客観的にはひとはそこにただ不確実性を有するのみである、しかしあたかもこのことが内面性の無限なる激情を集中せしめ、そして真理はまさに客観的に不確実なものを無限性の情熱をもつて選ぶといふ冒険のうちに存する。」「数学上の命題にとつてはこれに反してもちろん客観性は与へられてゐる、しかしながらそのためにそれの真理はまたどうでもよい真理である。」同じやうにパスカルは「デカルトは無用であり、不確実である。」と記してゐる。ロゴス的なものは明澄性を有する。そして我々の常識、そして一般に私がドクサ及びドグマとして哲学的に規定してゐるものはまたそれ自身の意味、それ自身の仕方において自明性をもつてゐる。しかしながら倫理性はそれらとは相反し、相矛盾するパトスの方向にある。それ故に人間の実存の倫理性は、シェストフがそのドストイェフスキー論を名づけたやうに、「明澄に対する戦」la lutte contre les évidences のうちに顕はになるのである。およそ対立といふものなくして倫理はない。客観的な明澄性もしくは自明性に対する主体的パトス的な争のうちに倫理はある。この争は私のいふやうなドクサに対するミュトスの争ともなるであらう。いづれにしても、これまで激情に対する理性の戦のうちに倫理を考へて来たのとは反対である。

 しかるにドクサやロゴスと戦ふにしてもパトス的方向の深奥に控へてゐるものは無である。パトスにおいて顕はになるものは何等の普遍性、一般性をも有しない。主体的な生の特質はむしろその断片性であつて、パトスにおいて顕はになるものは絶えず特殊的なもの、性格的なものである。このやうな精神的情況から懐疑とか不安とかいはれてゐるものが生ずる。今日の文学に現はれてゐる倫理は会議や不安といふことを離れて考へられないやうに思ふ。さまざまなパトスを動かし、その間の葛藤を惹き起してゐるものは、その根柢において無のパトスである。けれどもこのやうなパトスのリアリティが示されねばならず、そのリアリティを証明しようとするところに倫理はある。なぜなら、そのことは、その究極の意味において、客体の有に対しては無ともいふべき主体のリアリティを証明しようとすることであるからである。この証明の要求には特殊な知性、特殊な科学的精神が必要である。プルーストの知性、ジードの科学的精神などといはれるものもそれであらう。けれどもかやうな知性はデカルト的な知性ではない。むしろデカルトに対する格闘がある。ジードは、「デカルト哲学は "Every man in his humour" といふことを考慮しなかつた。経験といふものについても大した興味をもたず、要するに不十分な好奇心に過ぎなかつた。自然科学といはれてゐるものよりも、純粋科学といはれてゐるものの愛好。」と評してゐる。我々はまたキェルケゴールにおいてもかやうな特殊な知性を見出すであらう。パトス的なものも或る種のロゴスと結び附くのでなければ芸術家にとつて「世界像」とはならず、従つて芸術の中へはひつて来ない。しかし倫理はもと世界像とは区別される「世界観的なもの」である。人間の意識はその隅々に至るまで、それぞれの種類のロゴスとパトスとによつて弁証法的に構成されてをり、ロゴスと結び附くことはパトスの或る内的な要求でもある。主体的なもののリアリティは客観的なもののリアリティのやうに、因果関係を辿り、一般的概括を行ふことによつて示されることができない。その弁証法は体系的連続的なものでなく、非連続的な性質的弁証法である。このやうな場合リアリズムは、パトスのリアリティを、従つて真実には主体のリアリティを顕はにしようとするものとして、倫理的である。かくの如きリアリズムが客観的リアリズムと異ることは明瞭であらう。各々の作家についてその間に決して見逃すことのできぬ相違があるにしても、倫理の問題がパトロギー的に捉へられてゐることは、今日の特徴であると思はれる。そしてもしもロゴス的なものを現実と呼ぶならば、パトス的なものは同じ意味では現実的でなく、却つて可能的なものであらう。可能的といつても、単に空想的なものではない。「小説」は客体的現実性にオリエンティーレンした「物語」から区別されるが、それは決して単に空想的なものを描くのではなからう。そこには主体的真実性がなければならぬ。私の言葉を用ゐるならば、主体的「事実」はなほ客体的「存在」ではないといふ意味において、小説的なものは可能的なのである。しかしまた私のいふやうに、事実は存在の根拠といふ意味を含むとすれば、パトス的に捉へられた可能的な人間はその限り現実的な人間よりもよりリアルな人間であるとも考へられよう。それだから「自分の生活情熱から割り出した人間行為の分析物を捏つちあげて、可能的な人間の数々を描き出したドストイェフスキー」(河上徹太郎氏)の如きが、フロベールとは別の意味でリアリストと見られるのに何の妨げもないのである。

 ところで我々の哲学的規定に従ふと、人間は主体と客体との弁証法的統一であつて、そこから意識は主体と客体との極限であるといふ意味でまたそれ自身のうちに弁証法的構造を含んでゐる。即ちそれは客体的に規定せられるロゴス的意識と主体的に規定せられるパトス的意識とから弁証法的に構成されてゐる。かくていま、パトス的意識をパトロギーと呼び、ロゴス的意識をイデオロギーと呼ぶことにすれば、人間パトロギー的と同時にイデオロギー的に捉へられるのでなければ、その全き現実性において捉へられ得ないともいはれよう。そのやうな意味で、今日倫理的として問題になつてゐる文学は、あまりに一面的にパトロギー的ではないかと思はれる。そのこと自身が現代の社会的不安の一の表現であるとも見られ得るであらう。私のいふパトロギーはもとより病理学と同じでないけれども、しかしパトロギー的といふことが病理的とといふこととなる場合もなくはなからう。

 文学におけるパトロギーとイデオロギーの問題はかつて今日ほど明瞭な問題として現はれたことはなかつたであらう。しかるにそれ故にこそ我々はいまこの問題の弁証法的な解決を要求してはならないであらうか。人間はもと弁証法的なものとして彼がリアルであるといふのは二重の意味においてである。従つて人間を単にパトロギー的に描いたのでは、なほ全く現実的な人間は描かれないであらう。ヘーゲルも考へた如く、単なる内面性は抽象的で、真ではない。理論の真理性を証明するものは実践であるといはれるやうに、パトスの真実性を証明するものは、この場合こそまさに実践であるといはれ得る。人間はどこまでも客体的な自然的及び社会的環境のうちにあり、それらと必然的な連鎖によつてつながり、それらに制約されてゐる一物である。ひとは彼等を飽くまで客観的に把捉しなければならぬ。しかしながらまた人間を単に客観的に、イデオロギー的に見たのでは、真に生きた人間は描かれないであらう。客体的現実性からだけでは、作品の内面的必然性は従つて来ることができない。文学の真を客体的現実性と考へるとき、人間の概念化もしくは類型化の危険は手近かにあるのである。人間は一定の環境、一定の情勢、一定の危機のうちにおかれてゐるといふとき、そのやうな環境、情勢、危機なるものが本来何を意味するかといふことですらすでに、人間を客体とは秩序の異る主体として理解するのでなければ、理解され得ないことである。単なる客観主義は真に社会的歴史的であるとはいへない。実践といつても、何等かの仕方で客体とは区別される主体といふことが考へられないならば、現実的には実践の概念はあり得ない。しかるに主体的なものが主体的なものとして自己を告知するのはパトス的意識においてである。主体的なものは飽くまで主体的な「もの」であつて、単なる意識でない。けれども主体性において理解されるのはパトス即ちいはゆる心理においてのほかないのである。心理はこの場合もとよりそれ自身の現実と見られてはならず、現実はむしろどこまでも客体的現実性として問題であるとしても、人間の主体性を描き出すためには心理が描かれねばならぬであらう。それによつて作品に主体的真実性が、かくてまた内面的必然性が与へられんがためである。いはば心理描写のための心理描写でなく、人間の主体性を真に主体的に描写せんがための心理描写、さういふものはつねに必要である。このやうにして、つまり生きた現実的な人間を描かうとする文学は、人間をロゴス的に、そして同時にまたパトス的に、しかも両者の弁証法的関聯において捉へ且つ描き出すやうに要求されてゐるのではなからうか。客体的現実性と主体的真実性との弁証法を文学自身の方法によつて解決するといふことが課題ではないであらうか。

 

 

 

 

 

【東渓文庫】三木清「今日の倫理の問題と文学」(2/3)

三木清『続哲学ノート』より「今日の倫理の問題と文学」

 

 このやうにパトスと倫理とを関係附けるといふことは文学の問題にとつても重要な意義あることであると思はれる。それによつて初めて文学と倫理との内的な関係も考へられ得るであらう。文学のことは創作といはれてゐるが、かかる創作性の問題はその根源においてパトスお、いふところの作家的情熱の問題である。ロゴスからでなく、パトスからでなければ、創作性といふものは考へられぬ。それは単に客体を反映するといふ方面からは考へられず、そこには必ず根源的に主体が自己を表出するといふ方面がなくてはならず、そして主体がその主体性において根源的に自己を顕はにする場面はパトスである。文学は創作であるところから、文学におけるパトスの位置は何等かの仕方でつねに認められてゐる。例へば心理描写といふことである。この場合「心理」とは何を意味するのであらうか。文学でいふ心理はただ一般的に意識のことではなからう。意識といつても二重のもの、即ちロゴス的象面とパトス的象面とがある。そして文学で心理といへば特にパトスのことを意味してゐる。人間は身体であり、そのほかになほ人間は意識をも有するといふ如き意味で、文学において心理描写が要求されるのではない。むしろ、人間は単に客体でなくて主体であり、しかるに主体の主体性はパトスにおいて自己を顕はにするといふ意味で、パトス即ち心理を描くことが要求されるのである。心理も文学にあつては言葉を通じて表現されるのほかなからう。言葉はもとロゴスである。しかしながらパラドキシカルに聞えるにしても、言葉がもしもただロゴス的であるとしたならば、文学といふものはないであらう。ロゴスたる言葉のうちにはまたパトスが自己を表出するのでなければならぬ。言ひ換へると、言葉は外に見られた形あるものの形を写すのみでなく、内に動く形なきものの形を現はし得るものでなければならない。言葉において人間は語られた物を表はすばかりでなく、同時にまた語る自己自身を顕はにするのである。言葉とパトスとの内面的なつながりを明かにするといふことは、文学理論にとつて大きな問題のひとつを形作つてをり、特に文体の問題の如きについてはパトロギー的研究が必要ではないかと思はれる。いはゆる「言葉のジーニヤス」génie des langues といふものはパトスから説明さるべきものであらう。いつたいレトリックといふ語のもつ感じと意味とが今では昔とたいへん変つて来た。けれども、例へばアリストテレスが『修辞学』の中で取扱つたやうな意味におけるレトリックの問題は、単に文学の問題にとつてのみならずむしろ広く社会的に、現在非現実的になつたどころか、却つて現在においてこそますます現実性を加へてゐるのである。そのことはともかくとして、アリストテレスのこの書物がレトリックといふ名を戴いてゐるといふために見逃してならないことは、パトスの問題がこの書物のひとつの重要な内容をなし、それが詳細に究明されてゐるといふことである。即ちアリストテレスはそこで言葉(特に話される言葉)の問題をパトスとの具体的な関聯において研究した。これはすこぶる興味深きことであつて、レトリックはその多くの部分においてパトロギー的に取扱はるべきものであらう。

 しかしまたここでは特に文学における性格描写といふことである。人間の「性格」とは根源的には如何なるものであらうか。性格とはgenius のことである。そしてジーニヤスはパトスのうちにある。性格的なものはパトス的なものである。主観の概念を確立したカントは、それと共に「人格」の概念を基礎附け、この概念を彼の倫理学の中心に据ゑた。けれどもカントは観念論者として人格の本質をロゴス(理性)として解釈することによつて、ラスクなどもいつたやうに、個性といふものを破壊する結果に陥つてゐる。蓋しカントに従ふと、人間が人格であるのは理性によつてであり、しかるに理性はすべての人間においてもと同一なる要素である故に、我々は人格的であればあるほど、いよいよこの理性といふ普遍的なもの、共通なるものの一類例に堕してしまふことになつて、自己の固有性、独自性の意味はもはや認められることができないからである。そこで私は伝統的に観念論と結び附いてゐる人格なる概念のかはりに性格といふ概念を用ゐることにしよう。我々は他とロゴスを共にするとき個性的でなくなるとしても、他とジーニヤスを共にするcongenial ことによつてますます個性的となることができる。コンジーニヤルなものは共に性格的なものであつて、パトスにおいて結び附いてゐる。そして倫理的なものは性格的なものである。エートスはもと性格を意味した。性格的でない倫理的は真に倫理的でない。倫理的な文学においては性格的といふことが重んぜられてゐる。むかし個別化の原理は物質であると考へられた。我々はこの思想を新しく解釈し直して、人間の性格化の原理はパトスである、といふこともできる。もとよりパトスは、かつてロゴスがさう考へられたやうに、何物も予想することのない純粋活動でなくて、それは外において客体によつて規定されないにしても、内において主体によつて規定されてゐる。パトスはもと外的身体によつて規定されるものでなく、内的身体もしくは内的自然によつて規定されるものである。個別化の原理とせられる物質は、何等かの客体的な意味における物質でなく、それとは全く秩序を異にする主体的な意味における物質もしくは内的身体のことでなければならないであらう。かかる内的身体はパトスのうちに自己を主体的に表出する。文学において性格描写が要求されるとすれば、それは心理描写を通じてなされるのであつて、心理といふのはパトスのことである。性格的に描かれるのでなければ、「生きた人間」は描かれない。パトス的に描かれるのでなければ、真に性格的に描かれることはできぬであらう。

 尤も、区別すべきことは、性格的といふことと個人的といふことである。性格的とは本来、主体的、パトス的といふこと以外の何物でもなく、それは個人的といふことと直ちに同じに考へられてはならぬ。この点で私はキェルケゴールその他と全部は一致することができぬ。キェルケゴールは主観性における人間を「単独者」der Einzelne といふ範疇をもつて表はした。「単独者なる範疇に私のあり得べき倫理的意味は無条件的に結び附いてゐる。」と彼は書いてゐる。単独者の概念にまで突き詰めることによつて人間の倫理的主体性の意味は限りなく深められたけれども、しかしまたそのやうな見方は社会的なものをただ単に客体の方向においてのみ見て、これを主体的に捉へ得なかつた結果であるといふ非難を免れないであらう。人間を個人と考へるのは、人間をなほ真に主体的に捉へず、未だ客体的な見方を脱し切つてゐないものといはれ得る。個別化の原理としての物質たる内的身体は同時に社会的身体の意味を含んでゐる。パトスは決して単に人間を個別化するのみでない、それはむしろ人間を性格化することによつて却つて人間を結合するのである。ニーチェが称揚した如く情熱の心理学について繊細な理解を有した文学者スタンダールも、パッションは自己愛amour-propre とは反対のものだといつてゐる。エゴイストは真にパトス的になりきることができぬ。およそ利己主義とか利他主義とかいふ概念は本来パトス的な概念ではないともいへる。「同じやうに生活において、私のうちに住むのは他の者の思想、感情である、私の心臓はサンパティによつてのほか搏たない、」このやうにジードが書いたとき、sympathie といふのはもとより利他主義といふが如きものでなく、また安易な同情といふやうなものでもなく、文字どほりにパトスを共にするといふことでなければならぬ。他とパトスを共にするのでなければ、小説家となることもできぬ、彼のパトスが彼のジーニヤスである。かく考へるとき更にスピノザの如きが人間のパトスから社会の成立を説明したといふことにも深き意味を認めることができる。原罪の意識、この最も不思議なパトスこそはキリスト教的世界において人間を人類に結合した原理であつた。後の観念論的哲学がそれをいはゆる「人類のイデー」といふ意味に、従つてロゴス的に説明したとき人類の結合は現実的には却つて失はれてゐたのである。我々がこの世界におかれてゐる同じ運命の意識——客観的に見て運命が同じなのではない、むしろ運命のパトスを共にするのである、——は我々を内的に結合せしめるであらう。トルストイは『芸術とは何か』の中で、芸術の意味は人と人とを結合するにあると述べた。真の文学はまことに人間を結合する。それは人間をパトス的に捉へ、パトス的に描くことによつて初めて真に人と人とを結合するのである。「芸術の最高の目的は社会的性質の美的感情を作り出すことである。」とギュイヨーもいつた。尤もパトスにおいて自己を顕はにする人間は、本来、客体的な人間ではない、深きパトスはドストイェフスキーのいふやうな「地下の声」である。キェルケゴールにして書いてゐる、「この実験が一般に印象を与へたとすれば、それはあたかも、一羽の野鳥のはばたきが現実のうちに安心しきつて生活してゐる同族のかひならされた鳥どもの頭の上に聞え、そして知らず識らずこれらの鳥どももまた、はばたきするやうにされるが如くでなければならぬであらう、なぜならかのはばたきは不安であり——同時に誘惑であるから。」我々はドストエフスキーの作品の中にかのはばたきを聞かないであらうか、そして我々の心も知らず識らずはばたきさせられ、そして互に身を擦り合はさないであらうか。孤独を愛したプルーストでさへ書いてゐる、「もしあなたが私の書物を読んで下さらないにしても、それは私の咎ではありません。それは私の書物の咎です。なぜなら、それがもし真に善い書物であつたら、それはすぐさま離れ離れの心を結び附け、悩める胸に平和をもたらすでせうから。」パトスは人と人とを結合する、パトスは人間を主体的に結合するものとして倫理的である。もと個人倫理といふものがあるのでなからう。人と人とのパトス的主体的結合のうちに倫理はあるのである。理論は客観的普遍的になることによつて人間を結合し得るに反して、文学は性格的になることによつて人間を結合することができる。

 旧い美学の根本概念が「美」であつたとすれば、新しい美学のそれは「真」であるともいへる。美は真に比してなほ浅薄で皮相的であると思はれる。少くとも現代人の意識にとつてはさうである。我々は美よりも深く真実を求める。我々の問題はもはやかの「美的仮象」ではなくて、却つて芸術における真である。ところでこの場合ロゴスの問題は「真理性」Wahrheit であるといはれるならば、これに対してパトスの問題は「真実性」Wahrhaftigkeit である。真理といふことは伝統的には意識と対象との一致adaequatio rei et intellectus といふ風に定義され、従つて客観的な意味に用ゐられてゐる。主体的な意識であるところのパトスの問題はこのやうな真理といふことではなく、却つて真実性である。それだから主観的の思想家キェルケゴールは真理の問題を「真実性」Redlichkeit の問題に還元した。キェルケゴールは「彼の欲したもの」について「全く単純だ、私は真実性を欲する。」と語つてゐる。ニーチェもまた真実性を「我々の」徳、そしてしかも我々の「唯一の」且つ「最後の徳」と呼んでゐる。文学の真もかくの如き真実性の要素を除いてあり得ない。作家的情熱といふもかかる真実性を離れては考へられず、それはまたジードなどにおけるsincéritéである。文学における倫理の問題はかかる主体的真実性の問題であるともいへる。しかるにロゴス的意識にとつての問題はそれの対象性である。このやうな対象性は、文学にあつてはどこまでもその具象性を失ふべきでない限り、現実性と呼ばれることができる。私のいふ客体的現実性がそれである。このやうにして、以前、私は文学の真について論じた際にも、それに主体的真実性と客体的現実性との二つの方面があることを述べた。作家の真実性とは如何なるものであらうか。ジードは或るところで書いてゐる。「我々は顕はにするために pour manifester 生きてゐる。倫理と美学の規則は同じだ、顕はにすることのないすべての著作は無益で、そしてこのことによつてまさに、悪作である。顕はにすることのないすべての人間は無益で悪い人間である。……芸術家にとつての倫理的問題は、彼が顕はにするイデーが多数の者に対して多かれ少かれ倫理的で有益であるかどうかといふことではない、問題は彼がそれをうまく顕はにするといふことである。」しかし顕はにさるべきものは何であるか。「ところでいま何を顕はにすべきであらうか。」とジードは意味深き問を発してゐる。