カロル著、芥川龍之介・菊池寛共訳「アリス物語」
五 芋虫の忠告
芋虫とアリスは、暫くの間黙り込んで見合つてゐました。しかしとうとう芋虫が口から水煙管をとつて、だるいねむさうな声で、アリスに話しかけました。
「お前さんは誰ですか。」と芋虫はまづ訊きました。
けれどもこれは二人の会話(はなし)を、すらすら進めていくやうな、問ではありませんでした。アリスは少し恥づかしさうに答へました。「わたし――わたし今ではよく分らないのです。——といつても、今朝起きたときは、わたしが誰だつたかは、知つて居たのですが、それから何度も、いろいろ変つたに違ひないと思ふんです。」
「それはどういふことなのだ。」と芋虫はきびしく言ひました。「説明してみなさい。」
「わたし、説明なんて出来ないんです。」とアリスが言ひました。「だつてわたしはわたしでないのですから。ねえ。」
「さつぱり分らん。」と芋虫が言ひました。
「残念ながら、わたしにはそれをもつとはつきり、言ひ表はす事が出来ませんの。」とアリスは大層丁寧に答へました。「なぜなら、第一わたしには自分ながら、それが分つて居りませんの、そして一日の中に、いろいろと大きさが変るなんて、随分頭をまごつかせる事ですもの。」
「そんなことはない。」と芋虫は言ひました。
「ええ、そりやあなたは今までそんな事を、さういふものだとお感じになつた事は、ないかも知れませんけれど。」とアリスは言ひました。「でも、あなたが蛹になつたり——いつかはさうなるんでせう——それから蝶蝶にならなければならなくなつたら、少しは変にお思ひでせう、思はなくつて。」
「いいや、ちつとも。」と芋虫が言ひました。
「それぢや、あなたの感じがちがふのよ。」とアリスが言ひました。「わたしの知つて居る限りでは、それがとても変に感じられますの、私にとつて。」
「お前に?」と芋虫は馬鹿にしたやうに言ひました。「ぢやあお前は誰なのだ。」
そこで会話が、又一番初めに戻つてしまひました。アリスは芋虫が、こんな風に大層短い言葉しか言はないので、ぢれつたくなりました。それで背のびをして、大層真面目になつて言ひました。「わたしはね、先づあなたが自分は誰であるか、名乗るべきだと思ひますわ。」
「何故?」と芋虫は言ひました。
これでまた面倒な問題になりました。アリスはいい理由(わけ)を考へつきませんし、一方芋虫はひどく不愉快らしい様子でした。そこでアリスは向ふの方に歩いて行きました。
「戻つてこい。」と芋虫はアリスの後から呼びかけました。「わたしは少し大事な話があるのだ。」
この言葉が幾分頼もしく聞えましたので、アリスは振り返つて、又戻つて来ました。
「おこるもんぢやないよ。」と芋虫が言ひました。
「それだけなの。」とアリスは、できるだけ怒りをのみこんでいひました。
「いいや。」と芋虫が言ひました。
アリスは他に用がないものですから、待つてやつてもいいと思ひました。多分、何かいいことを聞かしてくれるのだらう、と思つたものですから。しばらくの間、芋虫は何にも言はないで、水煙管をプカプカふかしてゐました。けれども、とうとう芋虫は腕組をほどき、水煙管を、口から又とつて言ひました。「それでは、お前変つてると思ふのかい。」
「どうもさうらしいのですわ。」とアリスが言ひました。「わたし以前(まへ)のやうに、物を覚えられませんし——そして十分間と同じ大きさで居ないのです。」
「覚えられないつて、一体何を?」と芋虫が言ひました。
「ええ、わたし『ちひちやい蜜蜂どうして居る』を歌つて見ようと思つても、まるでちがつてしまふの。」とアリスは大層かなしさうな声で言ひました。
「『ウヰリアム父さん、年をとつた』をやつてごらん。」と芋虫が言ひました。
アリスは腕を組んで始めました。
「若い息子が云ふことにや
『ウヰリアム父さん、年とつたな、
お前の髪は真白だ。
だのに始終逆立ちなぞして、——
大丈夫なのかい、そんな年して。』
ウヰリアム父さん答へるにや、
『若い時にはその事を
脳にわるいと案じたさ。
だが今ぢや脳味噌もなし、
それでわたしは何度もやるのよ。』
若い息子が云ふことにや、
『何しろ父さん年とつた。
それによくもぶくぶく肥つたもんだ。
だのに戸口ででんぐり返つたり、
ありや一体何のつもりさ。』
白髪頭を振りながら、
ウヰリアム父さん云ふことにや、
『若い時にやあ気をつけて
せいぜいからだをしなやかにしてたよ。
こんな膏薬まで使つてね——
——一箱五十銭のこの膏薬だ——。
お前に一組買つてやらうか。』
若い息子が云ふことにや、
『お前は兎に角年よりだ。
お前の顎はもう弱い。
脂身より硬いものは向かぬ筈。
だのに鵞鳥を骨ぐるみ、
嘴までも食べちまつた。
あれは何うして出来たのだい。』
父さん息子に云ふことにや、
『わしが若いときや法律好きで、
何かと云へば女房と議論さ。
お蔭で顎は千万人力。
こんな年までこの通り。』
若い息子の云ふことにや、
『お前は年とつた。
昔通りに目が確かだとは
誰が本当と信じよう。
だのにお前、
鼻つ先で鰻を秤つたが
何うしてあんなうまい事がやれたんだ。』
父さん息子に云ふことにや、
『わしは三度も返事した。
もう沢山だ。
こんな譫言に相槌うつて、
大事な一日つぶしてなろか。
さあさ出て行け、
行かぬと階(はしご)から蹴落とすぞ』」
「間違つてるね。」と芋虫が言ひました。
「そりやみんなは合つてゐないやうねえ。」とアリスはビクビクして言ひました。「文句が少し変つたのだわ。」
「初めから終ひまで、違つて居るよ。」と芋虫はきつぱり言ひました。それからしばらく二人は黙り込んでしまひました。
すると、芋虫が話しだしました。
「お前はどの位の大きさになりたいのだ。」
「まあ、わたしどの位の大きさつて、きまつてゐないわ。」とアリスはあわてて答へました。「ただ誰だつて、そんなに度度大きさが変るのは、嫌でせう。ねえ。」
「わしには分からんよ。」と芋虫は言ひました。アリスは何も言ひませんでした。今までこんなに、反対せられたことはありませんので、アリスは癪で堪りませんでした。
「今は満足して居るのかい?」と芋虫は言ひました。
「さうねえ、あなたさへ御迷惑でなかつたら、わたしもう少し大きくなりたいの。」とアリスが言ひました。「三寸なんてほんとに情ない背ですわ。」
「いや、それが大層いい背格好だよ。」と芋虫は背のびをしながら、怒つて言ひました。(芋虫も丁度三寸の背でしたから。)
「でも、わたし、この背には馴れてゐないんですの。」と可哀想なアリスは、哀れつぽい声で言ひました。そして心の中で、「この人がこんなに怒りつぽくなければいいんだが。」と思ひました。
「今にお前馴れてくるよ。」と芋虫は言つて、口に水煙管をくはへて、またふかし始めました。
今度はアリスは芋虫が、又話しかけるまでヂツと待つて居ました。一二分たつたとき、芋虫は口から水煙管をとつて、一二度欠伸をして、身体を振ひました。それから蕈から下りて、草の中へ匍つていきました。行きながら、ただ芋虫は「一つの側は、お前の背を高くし、他の側は、お前の背を短くする。」と言ひました。
「何の一つの側なんだらう。何の他の側なんだらう。」とアリスは考へました。「蕈のだよ。」と芋虫は丁度、アリスが大声で尋ねでもしたかのやうに言ひました。そして直ぐ芋虫の姿は、見えなくなりました。
アリスはしばらくの間、考へ込んで、ヂツと蕈を見て居ました。そして蕈の両側とは、どこなのか、知らうとしました。。けれども蕈はまん丸なものですから、これは大層むづかしい問題だと、いふことがわかりました。けれども、とうとうアリスは両腕をグルリと廻せるだけまはして、蕈の端を両手で、チヨツトかきとりました。
「さあどちらがどちらなのだらう。」とアリスは独語をいひました。そしてその結果をためして見るつもりで、右側を一寸かじつて見ました。と、いきなり顎の下をひどく打たれたやうな気がしました。それは顎が足にぶつかつたからでした。
アリスは此の急な変り方に、すつかり驚いてしまひましたが、身体がドンドン縮まつていくものですから、少しもぐづぐづして居られませんでした。それでアリスは、早速別の端をかじることにとりかかりました。顎が足にしつかりとくつついて居るものですから、口をあく余裕なんか、ほとんどありません。しかし、とうとう何うにかあけて、やつとのことで、蕈の右の端を一口のみ込みました。
「ああ頭がやつと楽になつた。」とアリスは嬉しさうに言ひましたが、忽ちその声は、驚きの悲鳴に変つてしまひました。それもその筈です。アリスは自分の肩が、どこにあるのだか見えなくなつたのでした。アリスが下を向いて見ると、見えるものは、ばかに長い頸だけで、それはアリスのずつとずつと下に拡つてゐる、青い葉の間から、生えて居る茎のやうに見えてゐるのでした。
「一体あの青いものは何かしら。」とアリスは言ひました。「そしてわたし、肩は何処にいつたんでせう。まあ、わたしの可哀想な両手さん、わたし、どうしてお前を見られなくなつたんでせう。」とアリスは言ひながら、手を動かして見ましたが、ただ、遥か下の緑色の葉の一部が、微かに揺れたきりでした。
何しろ、手の方を頭に届かせるなどといふ事は、とても出来さうもありませんでしたので、アリスは頭の方を手に届かせてみようとやつてみました。すると嬉しいことに、アリスの首は蛇のやうに、どつちにでもうまく曲る事が分りました。アリスはこれで格好よくまげくねらせ、そして青い葉の間に、その首を突込みかけました。——気づいて見ると、それは今まで歩いて居た森の樹の梢でした。——が丁度そのとき鋭いヒユーといふ音が、アリスの顔をかすめたので、あわてて後退りしました。大きな鳩がアリスの顔にぶつかつて、翼でアリスをひどく打ちました。
「やあ蛇!」と鳩は金切声で叫びました。
「わたし、蛇なんかぢやないわ。」とアリスは怒つて言ひました。「早くお退き!」
「蛇だつたら蛇だよ。」と鳩は繰返して言ひました。けれども、その声は前よりやさしい調子でした。それから、泣声で附け加へるのに、「いろいろとやつて見たが、どれもあいつには合はないやうだ。」
「お前さん一体何を言つて居るのだか、わたしにやちつとも分らない。」とアリスは言ひました。
「わたしは木の根にもやつて見たし、土手にも、垣根にもやつて見た。」と鳩はアリスに構はず言ひました。「けれどもあの蛇奴、あいつばかりはどうしても気を和げることができない。」
アリスはますます分らなくなつて来ました。けれどもアリスは、鳩が言ひ終るまで、何を言つても無駄だと考へました。
「蛇の奴め、卵を孵すなんて、何でもないと思つてやがるらしい。」と鳩が言ひました。「少しは夜昼蛇の見張をしてゐなきやならん。まあ、わしは此の三週間と云ふものは、一睡もしないんだよ。」
「御困りのやうで気の毒ですわ。」とアリスは鳩の云ふことが、分りかけましたので言ひました。
「それでやつと今、森の一番高い木に、巣をかけたところだのに。」と鳩は言ひ続けて居る内に、泣き声になつてきました。「こんどこそは蛇にねらはれることがないと思つて居たのに、今度は空から、ニヨロニヨロ下るぢやないか。いまいましい、この蛇め。」
「だつてわたし、蛇でないと云ふのに。」とアリスは言ひました。「わたしは——わたしは、あの——。」
「ぢやあ、お前は何なのだ。」と鳩が言ひました。
「わしはお前が、何かたくらんでゐることを知つて居るよ。」
「わたしは——わたしは小さい娘ですわ。」とアリスは一日の中に、いろいろな形に変つたことを、思ひ出して一寸疑はしさうに言ひました。
「旨く言つてやがる。」と鳩はひどく馬鹿にして言ひました。「わしは今までに沢山の娘を見て居るが、こんな首をして居る女の子なんか、見たことがないよ。ちがふよ。ちがふよ。お前は蛇なんだ。さうぢやないと、言つて見たつて無駄だよ。今度は多分卵なんかの味は知りませんと云ふんだらう。」
「わたし卵の味は、知つて居るわ。」とアリスは大層正直な子供でしたから、言ひました。「だつて小さい娘だつて、蛇と同じ位に卵を食べてよ、さうでせう。」
「わたしには信じられないことだ。」と鳩が言ひました。「けれども、若しさうだとすると、それぢやまあ娘も蛇の類だなあ。わしはさう云ふより外はない。」
鳩の言つたこの事は、アリスにとつては、全く新しい考へでしたから、アリスは一二分間黙り込んでしまひました。それをいい機会に鳩は話しつづけました。「おまへは卵を探して居るんだね。それにちがひあるまい。かうなりやお前が、小さい娘であらうが、蛇であらうが、わしにはどうでもよいのだ。」
「わたしにはそれがちつとも、何うでもよくない事なの。」とアリスはあわてていひました。「けれどわたし、卵なんか探してゐるんぢやないの。もし探したつて、お前の卵なんか欲しくはないわ。わたし生の鳩の卵なんか好きぢやないの。」
「ふん、それぢや、去(い)つてくれ。」と鳩は巣の中に入りながら、気むづかしい声で言ひました。アリスは出来るだけ、こごんで樹の下を、歩いていきました。何故ならアリスの首が枝にからみつくからでした。それでその度毎に時時止まつて、ほどいていかねばなりませんでした。しばらく経つて、アリスは両手に一本の蕈を、持つて居ることに気がつきましたから、大変気をつけて、初めに一つの側をかじり、それから別の側をかじつて、大きくなつたり、小さくなつたりして居るうちに、とうとうアリスはやつとあたり前の背になることができました。
随分と永い間ほんとの大きさにならなかつたのですから、始めは全く奇妙でした。が、少し経つうちに、慣れて来て、いつもの様に独語をいひ始めました。「さあ、これでわたしのもくろみが、半分達しられたのだわ。あんなにいろいろ大きさが変つちや、やりきれないわ。一分間のうちに、どうなつていくのだかわからないのだもの。けれどもわたしはこれであたりまへの大きさになつたのだ。次にすることは、あの綺麗なお庭に入ることだわ。一体それには、どうすればいいのか知ら。」かう言ひましたとき、アリスは突然、広広とした場所に出ました。そこには四尺ばかりの小さい家が建つて居りました。「あすこに誰が住んで居るにしても。」とアリスは考へはじめました。「わたしがこの大きさのままで会ひに行つちやあ、悪いかもしれないわ。内の人達をすつかり驚かせてしまふわ。」さう言つてアリスは又蕈の右側を、少しかじり始めました。それで九寸ばかりの背になつたとき、はじめてその家に近寄つて行きました。
六 豚と胡椒
一、二分の間、アリスは佇んで、その家を眺めながら、これから何をしようかと、思案して居ました。と、突然(だしぬけ)に仕着を着た取次の下男が、森から走つて出てきました。(アリスは此の男が仕着を、着て居るものですから、取次の下男だと思つたのでした。それでなくて顔だけで判断すると、魚だと言つたことでせう。)この男は指関節(ゆびふし)で戸をトントンと叩きました。するとやつぱり仕着せを着た、もう一人の下男が戸を開けて出て来ました。丸顔で蛙のやうに大きな目をした男でした。そしてこの下男達は、二人とも頭一面に縮れ生えた髪に、髪粉を付けて居りました。その人達の様子や何かすべてが、アリスには大変物珍しく、思はれてきましたので、もつといろいろ知り度くて、アリスは森から少し匍ひだして、耳をかたむけました。
魚の下男は、脇にかかへて居た自分ほどの大きさの封筒をとりだして、もう一人の下男に渡しながら、おごそかな声で言ひました。「公爵夫人へ、女王様より、球打遊びの御招待」といひました。蛙の下男は、同じやうにおごそかな声で、ただ言葉の順序を一寸変へただけで、言ひました。「女王様より、公爵夫人へ球打遊びの御招待。」
それから二人は大層腰を低くして御辞儀をしましたので、二人の髪の毛はもつれあつてしまひました。
アリスは此の様子があまりをかしいので、吹き出したくなりましたものですから、聞えてはいけないと思つて森の中を走つて帰りました。少したつてアリスが覗いて見ると、魚の下男はゐなくなつてもう一人の下男が、玄関の側の地面に腰を下し、馬鹿げた顔をして、空を見つめて居ました。
アリスはビクビクしながら、戸口まで行つて戸を叩きました。
「戸を叩く必要なんかないよ」とその下男が云ひました。「それには二つの理由がある。第一にわたしは、お前さんと同じ戸口の外に居る。第二に家の内側では大騒ぎをして居るから、誰もお前が戸を叩いたつて聞えやしないよ。」実際、家の内側では大層な物音がして居りました——たえず唸るやうな、くさみをするやうな音がして、時時皿か土瓶でも粉粉にこはれるやうに、ガラガラといふ物音が響いてゐました。
「それでは」とアリスが言ひました。「どうしたら家へ入れますでせうか。」
下男はアリスの言ふことなんかには構はずに言ひつづけました。「二人の間に戸があるとすれば、戸を叩くのに何か考へがあるにちがひないさ。たとへばお前さんが戸の内側に居て、戸を叩くなら、わしはお前さんを外にだしてやることができるといふものだ。」かう云ひながらも始終下男は空を見て居りました。アリスは随分失礼なことだと思ひました。「かれども多分上の方を見ないでは居られないのだわ。」とアリスは独語をいひました。
「目が頭のてつぺんのところについて居るんだもの。でもとにかく尋ねたんだから、返事をしてくれてもよさそう(ママ)なものだわ。ねえ、どうしたらうちに入れるんでせう。」とアリスは大きな声で繰返して言ひました。
「わしは明日迄ここに坐つて居るよ——。」と下男は言ひました。
この時家の戸があき、大きなお皿が下男の頭へ向つて、真直にとんできて、鼻を掠めて、その下男の後にある樹にあたつて、粉粉に壊れてしまひました。
「——それともその明くる日まで居るかも知れない。」と下男は何事もなかつたやうに同じ調子で言ひました。
「どうしたら入れるのでせうか。」とアリスは又大きな声で言ひました。
「お前はとにかく内に入りたいのだな。」と下男は言ひました。「それが第一の問題なんだらう。」勿論それに違ひありませんでした。けれどもアリスはさう言はれるのが嫌(きらひ)でした。「動物などのいふことはほんとに、いやになつてしまふわ。気ちがひにでもなりさうだわ。」とつぶやきました。
下男はこれを好い機会だと思つて、調子を変へてまた言ひだしました。
「わしはここに、いつまでも、いつまでもズツと続けて坐つて居るよ」と言ひました。
「ではわたし、どうすればいいの。」とアリスが言ひました。
「お前の好きなことをすればいいよ。」と下男は言つて、口笛を吹き始めました。
「まあ、こんな人に何を言つても無駄だわ。」とアリスはあきらめたやうに言ひました。「この人は全くお馬鹿さんなのだわ。」かう言つてアリスは戸を開けて内に入つていきました。
戸を開けると突きあたりは大きな台所でした。そして隅から隅まで煙で一杯になつてゐました。公爵夫人は台所の真中で赤ん坊に乳をやりながら、三本足の腰掛に坐つて居ました。料理番は火の前で身体をまげて、スープが一杯入つて居るらしい、大鍋をかきまはしてゐました。
「このスープにはキツト胡椒が入りすぎて居るのだわ。」とアリスはくしやみをしながら、できる丈け大きな声で言ひました。
まつたくのところ、胡椒がひどくその空中にとんでゐるのでした。公爵夫人ですら時時くしやみをしました。そして赤ん坊は、ひつきりなしにくしやみをしたり、わあわあ泣いたりしてゐました。この台所の内でくしやみをしなかつた二人のものは、料理番と、竈のそばにすわつて耳から耳まで大きな口をして、ニヤニヤ笑つて居る大猫とだけでした。
「あの失礼ですが、」とアリスは自分から先づ話しだすのは、礼儀作法にかなつて居るかどうだか分らないものですから、少しおどおどしていひました。「何故あなたの猫はあんなにニヤニヤして居るのですか。」
「あれはチエシヤー猫なのだ。」と公爵夫人は言ひました。(チエシヤー猫はいつも知つて居るやうな顔をして居るのです。)「それがその理由なのさ。豚児(ぶたつこ)や。」
アリスはこのおしまひの言葉が、あまり乱暴なので驚いてとび上りました。けれどもアリスは直ちに、それが赤ん坊に言ひかけたので、自分に向つて言つたのではないといふことが分りました。それで元気をだして又云ひ始めました。
「チエシヤー猫はいつもニコニコ笑つて居るものだ、と言ふことは知りませんでした。ほんとのところ、わたし猫が笑へるものだとは知りませんでした。」
「猫はみんな笑へるんだよ。」と公爵夫人は言ひました。「そして大抵の猫は知つてゐるよ。」
「わたし笑ふ猫を知りませんでしたの。」とアリスは夫人が話相手になつてくれたのが、嬉しくて大層叮嚀に言ひました。
「お前は何にも知つて居ないねえ。それはほんたうだよ。」と公爵夫人は言ひました。
アリスは、どうもこの言葉つきが気に入りませんでした。そして何か外に新しい会話の題をひきだしたいと思ひました。アリスが何かの題にきめようと考へてゐますと、料理番の女はスープの大鍋を竈から下しました。そして直ちに自分の手の届くものを何でもとつて、公爵夫人と赤ん坊に向つて投げかけだしました。——初めに火箸を、それから小皿や大皿や平皿を雨のやうに投げつけました。公爵夫人は当つても平気ですましてゐました。そして赤ん坊は前からズツと泣き通しで居ましたから、何かあたつて痛いから泣くのか、少しも分りませんでした。
「まあ、どうか気をつけてして下さい。」とアリスは怖がつてあちらこちらを跳び廻りながら叫びました。「まあ、あの子の大切な鼻がとれるわ。」外れて大きな皿が赤ん坊の鼻をかすめて、もうすこしのことで、もいでしまふところでした。
「誰でも自分の仕事に気をつけてしさへすれば、」としやがれた声で、公爵夫人が言ひました。「世界はズツと早く廻つていくだらうよ。」
「それはためにならないでせう。」とアリスは自分の学問を示すのに、いい時だと思つて、大層喜んでいひました。「まあさうなると夜と昼とが、どうなることか考へてごらんなさい。御承知のやうに地球はおのが軸の上を廻るのに二十四時間かかるのですよ——。」
「おの(斧)だつて。」と公爵夫人が言ひました。「首をちよんぎつておしまひ。」
アリスは料理番がほんとに、言はれた通りにするかどうか、心配さうにそつちをちらと見ました。けれども料理番は忙がしく、スープをかきまはしながら、何にも耳に入らないやうでした。それでアリスは又言ひつづけました。「二十四時間だと思ひますけれど、それとも十二時間だつたかしら、わたし——。」
「まあ、うるさいね。」と公爵夫人は言ひました。「わたし数字なんか嫌ひだよ。」かういつて、夫人は自分の赤ん坊に乳をやりはじめました。さうしながら子守唄のやうなものを唄つて、唄の終ひに赤ん坊をひどくゆりました。
男の子にはガミガミ言つてやれ、
くしやみをしたら殴(ぶ)つてやれ。
人困らせにやるんだもの、
せつつく事を知つてゐて、
合唱(これには赤ん坊も料理番も一緒でした)
ワウ、ワウ、ワウ、
公爵夫人は次の歌の文句を唄ひながら、赤ん坊を荒荒しく高く上げたり落したりしました。
わたしの子供にはガミガミ言ひまする、
くしやみをすれば殴ります。
気のむくだけ胡椒をば、
充分嗅ぐことができるんだもの。
合唱 ワウ、ワウ、ワウ、
「おい、お前よければ少しお守をしておくれ。」と公爵夫人はアリスに言ひながら、赤ん坊を殴りつけました。「わたしはこれから出かけて、女王様との球打遊びの支度をしなければならないのだ。」と言つて室から急いで出ていきました。料理番はフライ鍋を夫人のうしろからぶつつけましたが、それはあたりませんでした。
アリスは、やつとのことで赤ん坊をうけとりました。赤ん坊は奇妙な形をして居て、手足を八方にのばしました。「まるでひとでのやうだわ。」とアリスは考へました。アリスが抱きとりました時、赤ん坊は蒸気機関のやうに荒い鼻息をしてゐました。そして身体を二重(ふらへ)に折つてみたり、真直にのばしてみたりするので、初め一寸の間は、全くそれを抱いて居ることがアリスには精一杯のことでした。
間もなく、アリスは赤ん坊をお守するよい方法を考へつきました。(それは赤ん坊を撚(よ)つて結び目のやうなものにして、それからほどけないやうに右耳と左足をしつかり抑へておくことでした。)かうやつてアリスは、赤ん坊を外に抱いてでました。「わたしが抱いてでなかつたら、この赤ん坊なんか一日か、二日のうちに殺されてしまふわ。それをすてて行くのは人殺をするやうなものだわ、」とアリスは考へました。アリスはこの終ひの言葉を大きな声で言ひました。すると赤ん坊は、返事に豚のやうにブウブウ言ひました。(このときには、くしやみは止めてゐました。)「ブウブウお言ひでない。」とアリスは言ひました。「そんなのチツトもいい話しぶりぢやないわ。」
赤ん坊はまたブウブウ言ひました。アリスは赤ん坊が、どうかしたのではないかと思つて、大層心配さうに顔を見て居ました。たしかにそれは大変上を向いた鼻でした。鼻と云ふよりもむしろ嘴のやうでした。又その目は赤ん坊にしてはずゐぶん小さいものでした。それでアリスは全く赤ん坊の顔が嫌になつてしまひました。「でも此の子はすすり泣をしてゐたのかもしれないわ。」とアリスは考へて、涙がでてゐやしないかと、又赤ん坊の眼を見ました。
涙なんか一つもありませんでした。「ねえ、坊やが豚にでもなるのなら、わたしはかまつてあげないわよ。いいかい。」とアリスは真面目くさつて言ひました。可哀さうな赤ん坊は、又しくしく泣きました。(又はブウブウいひました。これはどちらとも云ふことができませんでした。)それから二人はしばらくの間黙つて歩いていきました。
アリスはそのときかう考へ始めました。「まあ、わたしうちに帰つたらこの子をどうしませう。」すると赤ん坊が又ひどく、ブウブウ泣き始めましたから、アリスは少少驚いて赤ん坊の顔を見ました。こん度は全く間違ひなし、それは豚にちがひありませんでした。それでアリスはこんなものを抱いて、この先きあるいていくのは、全く馬鹿らしいと思ひました。で、アリスはこの子を下におろしてやりました。するとヒヨコヒヨコと、森の中へ歩いていつたので、安心をしました。「あれが大きくなつたら、」とアリスは独語をいひだしました。「ずゐぶんみつともない子になるでせう。でも豚にすればきれいな方だわ。」さう言つて、アリスは自分の知つて居るうちで豚にしたら、よささうな子供のことを考へました。それからかう独語をいひだしました。「人の子と豚にかへる、ほんとに方法が分つて居るといいのだけれども——。」するとそのとき驚いた事に二、三尺離れた樹の枝にチエシヤー猫が坐つて居るのが見えました。
猫はアリスの顔を見ても、ニヤニヤしてばかりゐました。素直な猫だとアリスは思ひました。けれども大層長い爪と、大きな歯を沢山もつて居るので、アリスはこりや丁寧にあしらはないと、いけないと思ひました。
「チエシヤーのニヤンちやん。」アリスはかう呼びかけて、猫が嫌ひはしないかと、少しおぢおぢしました。けれども猫は前より大きな口をあけて、ニヤニヤして居るばかりでした。まあ気に入つて居るらしいわ。」とアリスは考へて、言ひ続けました。「済みませんが、ここから行くにはどの道をいけばよろしいんでせう。」
「それは、お前さんの行きたいと思つて居るところできまるよ。」と猫はいひました。
「わたしどこでもかまはないのです。」とアリスは言ひました。
「それぢやどつちを行つても構はないさ。」と猫が言ひました。
「——どこかへ行けさへすれば。」とアリスは弁解(いひわけ)らしく言ひ加へました。
「まあ、お前ながいこと歩いて行きさへすれば、どこかに行けるよ。」と猫は言ひました。
アリスはこの言葉が、もつともだと思ひましたので、今度は別の問をだしました。「この辺には、どんな人が住んで居るのでせうか。」
「あの方角には、」と猫は、右の前足をぐるぐる廻して言ひました。「お帽子屋(帽子屋と言つても帽子を売つたり作つたりする人のことではありません。アダ名の帽子屋です)が住んで居る。それからあの方角には、」と別の前足を動かして言ひました。「三月兎が住んで居る。どつちでも、気のむいた方へ行つてごらん。二人とも気違ひだよ。」
「けれどわたし、気違ひの人達のところなんかへ行きたくないわ。」とアリスは言ひました。
「だが、さうはいかないよ。ここではみんなが気違ひなんだ。わたしも気違ひだし、お前も気違ひなのだ。」と猫は言ひました。
「わたしが気違ひだといふことが、どうして分つて。」とアリスは言ひました。
「お前は気違ひに相違ないよ。」と猫が言ひました。
「それでなければ、こんなところへ来やしないよ。」
アリスはそんなことで、気違ひだといふことにならないと思ひましたが、尚続けて言ひました。「それではお前が気違ひだといふことが、どうして分るの。」
「まづ第一に、」と猫は言ひました。「犬は気違ひではない。お前それを認めるかい。」
「さう思ふわ。」とアリスが言ひました。
「よろしい、それでは。」と猫は続けて言ひました。
「犬がおこると唸つて、嬉しいと尻尾をふることは、お前さん御承知だらう。ところでわたしは、嬉しいと唸るし、おこると尻尾をふるんだ。それだからわたしは気違ひなのだよ。」
「わたしは、そのことを唸るといはないで、ゴロゴロいふと言ひますわ。」とアリスが言ひました。
「どうとでもお言ひなさい。」と猫は言ひました。「お前さんは今日女王様と球打遊びをするのかい。」
「わたし球打が大好きなんだけれども、まだ招待をうけてゐないわ。」とアリスは言ひました。
「あそこでなら私に会へるよ。」さう言つたかと思ふと、猫は姿を消してしまひました。
アリスはこれには、そんなに驚きませんでした。といふのも色色な珍らしい出来事には、もう馴れて居たからでした。それからアリスがまだやつぱり猫の居たところを見て居ますと、突然(だしぬけ)に又猫が姿をあらはしました。
「ついでのことだが、赤ん坊はどうなつたい。」と猫は言ひました。「私や訊くのを忘れさうだつたよ。」
「あの子は豚になつたよ。」とアリスは、猫がまるで、あたりまへに戻つて来たかのやうに、静かに答へました。
「うん、さうだらうと、わたしも思つて居た。」と猫は言つて、又姿を消してしまひました。
アリスは猫が、また出てくるのかと思つて待つて居ましたが、もう出て来ませんでした。それからアリスは、三月兎の住んで居ると云ふ方角へ向つて歩いていきました。「わたし帽子屋には前にあつたことがあるわ。」とアリスは独語をいひました。「三月兎はきつと、とてもとても素敵に面白いと思ふわ。それに今は五月なんだから、さう気違ひじみてもゐないと思ふわ。——すくなくとも三月ほど気が変ぢやないでせう。」アリスはかう言つて上を見ました。すると又猫が樹の枝の上に坐つて居りました。
「お前はピツグ(豚)といつたのかい、フイツグ(無花果)といつたのかい。」と猫が言ひました。
「豚と言つたのだわ。」とアリスは答へました。
「そしてわたしお前がそんなに突然に現はれたり、消えたりなんかしないでくれればいいと思ふわ。わたしほんとに目がまはりさうよ。」
「よろしい。」と猫は言ひました。今度はそろりそろりとまづ尻尾の先から消えて、しまひにはニヤニヤ笑ひがのこりました。それはからだの外の部分が消えてしまつても、あとまで残つてゐました。
「まあ、わたし今までにニヤニヤ笑ひをしない猫は、幾度も見てゐるけれど、猫がゐなくてニヤニヤ笑ひだけなんて、初めて見たわ。これが生れて初めて見たふしぎなことだわ。」とアリスは言ひました。
アリスがさう長くは歩かないうちに三月兎の家が見えてきました。アリスはこれがほんとの兎の家だと思ひました。なぜなら煙突は兎の耳のやうな形をしてゐましたし、屋根は兎の毛皮でふいてありましたからです。随分大きな家でしたから、アリスは蕈の左側をかじつて二尺位の背になつてからではないと、近づく気になれませんでした。その時ですらアリスはビクビクしながら家の方へ歩いていき、こんな独語をいひました。「何だかやつぱり兎もひどい気違ひかもしれないわ。わたし兎のかはりに帽子屋に会ひに行けばよかつたらしいわ。」
七 気違ひの茶話会
家の前の樹の下に、一つのテーブルが置いてありました。そして三月兎とお帽子屋とがそれに向つて、お茶をのんで居りました。山鼠が二人の間に坐つたまま、グウグウ寝て居りました。すると前の二人は山鼠をクツシヨンにして肘をその上にのせ、その頭の上で話をして居ました。「山鼠は随分気持ちがわるいでせうねえ。」とアリスは考へました。「でもまあ、よくねて居るから何ともないだらうけれど。」
テーブルは大きなのでしたが、三人はその隅つこの方にかたまつて坐つて居ました。アリスがやつて来たのを見ると、二人が、「席がない、席がない。」とどなりました。
「あいたところは沢山あるぢやないの。」とアリスは怒つてさう言つて、直ぐに、テーブルの隅にあつた、大きな安楽椅子に腰を下しました。
「葡萄酒をお上り。」と三月兎はすすめるやうにいひました。
アリスはテーブルを見まはしましたが、お茶の外には葡萄酒なんかありませんでした。「葡萄酒なんか見あたらないわ。」とアリスは言ひました。
「少しもないよ。」と三月兎が言ひました。
「それでは、ないものをすすめるなんて失礼ぢやありませんか。」とアリスは怒つて言ひました。
「正体をうけないで坐るのは失礼ぢやないか。」と三月兎は言ひました。
「わたし、お前さんのテーブルとは知らなかつたのです。」とアリスは言ひました。「三人よりもつと多勢の為に置いてあるんぢやないの。」とアリスは言ひました。
「お前の髪は切らなければいけない。」とお帽子屋は言ひました。お帽子屋はしばらくの間、不思議さうな顔をして、アリスをヂツと見て居たのでした。それでこれがお帽子屋の最初の言葉でした。
「人の事、あんまり立ちいつていふもんぢやないわよ。」とアリスは少しきびしく言ひました。
「ずゐぶん失礼だわ。」
お帽子屋はこれを聞いて目を大きくあけました。けれども、それからお帽子屋の言つたことは「烏は何故写字机に似て居るのだらうか。」といふことだけでした。
「さあ、これから面白くなつてくるわ。」とアリスは考へました。「みんなが謎をかけはじめたならうれしいわ——あたしきつと当てられるわ。」と大きな声でつけ加へました。
「お前がそれに答を見つけられるつていふつもりなのかい。」と三月兎が言ひました。
「さうだとも。」とアリスは言ひました。
「それではおまへの思つて居ることを言はなければならない。」と三月兎はつづけて言ひました。
「わたし言ひますわ。」とアリスはあわてて答へました。「すくなくとも——すくなくとも、わたしの言つてることを、わたしは思つて居るのですわ、——それは同じですわ、ねえ。」
「少しも同じぢやない。」とお帽子屋は言ひました。「それでは『わたしはわたしの食べて居るものを見てゐる』といふのと、『わたしの見てゐるものを、わたしは食べてゐる』といふのと同じことになると、お前は言はうといふのだねえ。」
すると三月兎がそれに附け加へて言ひました。「それでは『わたしが手に入れたものを、わたしは好きだ』と言ふのと、『わたしはわたしの好きなものを手に入れた』と云ふのと同じだとお前は言はうといふのだねえ。」
すると山鼠がそれにいひ加へました。それは眠つたままものを言つて居るやうに見えました。
「それでは、『わたしは、わたしがねてゐるとき呼吸をする』と云ふのと、『わたしは呼吸するとき、寝る』と云ふのと同じことになると、お前は言はうといふのだねえ。」
「お前さんにはそれは同じことだよ。」(山鼠はいつも寝て居るといふことからでて来たのです)とお帽子屋は言ひました。これで会話はおしまひになつて、みんなはしばらく黙つてしまひました。けれどもアリスは自分の知つて居る限りの鳥と、写字机のことをのこらず(といつってもさう沢山ではありませんでしたが)思ひ出して見ました。
まづ口を切つたのはお帽子屋でした。「今日は何日(いくか)だい。」とアリスの方を向いて言ひました。お帽子屋はそれまでポケツトから、懐中時計をとりだして、不安さうに眺めたり、時時振つたり、それから耳許に持つていつたりしてゐました。
アリスは一寸考へて、「四日です。」と言ひました。
「二日違つて居るよ。」とお帽子屋は溜息をついて言ひました。「それでわしは、バタは仕事に何の役にもたたないといつたのだ。」と怒つた顔で、三月兎を見ながら言ひました。
「ありやあ一番上等のバタだつたよ。と三月兎はおとなしく答へました。
「うん、だがパン屑もいくらか入つて居たよ。」とお帽子屋はぶつぶつ言ひました。「パン切ナイフなんか、入れてはいけなかつたんだよ。」
三月兎は時計をだして、沈んだ顔をして見てゐました。それから時計を茶呑茶碗に入れてまた見ました。けれども最初の言葉通り、又、「ありや一番上等のバタだつたよ。ねえ。」と云ふよりほかにいい考へがでて来ませんでした。
アリスは物珍らしく、兎を肩越しに見て居ました。
「何んて面白い時計でせう。」とアリスは言ひました。「何日かを示して、何時かを示さないのね。」
「ふん、そんな用があるもんか。」とお帽子屋はつぶやきました。「お前の時計は年が分るかい。」
「無論分りつこないわ。」とアリスはきつぱり答へました。「でもそれは随分永い間同じ年で、とまつてゐるからよ。」
「それは丁度わたしのと同じだ。」とお帽子屋がいひました。
アリスはひどく、分らなくなつてしまひました。お帽子屋の言葉は何の意味もないやうにアリスには思へました。けれども、それはたしかに英語でした。「わたしあなたのいふことが、少しも分りませんわ。」と、できる丈叮嚀にアリスは言ひました。
「山鼠は又寝てしまつた。」とお帽子屋は言つて、その鼻の中に熱いお茶を注ぎ込みました。
山鼠はいらいらした様に、頭をふりました。そして目を開けないで、かう言ひました。「無論さ、無論のことさ。そりやわたしが言はうとした通りだよ。」
「お前謎がとけたかい。」とお帽子屋はアリスの方を向きながら言ひました。
「いいえ、わたしやめたわ。」とアリスは言ひました。「答は何なの。」
「わたしには、チツとも考へつかないよ。」とお帽子屋は言ひました。
「わたしにも。」と三月兎は言ひました。
アリスは、いやになつたものですから、溜息をつきました。
「お前さんたち、そんな答のない謎をかけて、時をむだにするより、もつとそれを、上手につかふ工夫がありさうなものだわ。」とアリスは言ひました。
「若しお前さんが、わたしと同じに、時と知り合なら、それをむだにするなんぞとはいはないだらう。それぢやなくて、あの人と云ふんだよ。」
「わたし、お前さんの云ふことが分らないわ。」とアリスは言ひました。
「無論わからないだらう。」とお帽子屋は、馬鹿にしたやうに、頭をつきだして言ひました。「多分お前は時に話しかけたことはないだらう。」
「恐らくないことよ。」とアリスは用心深く答へました。「けれどわたし音楽を稽古するとき、時をうつ(拍子をとる)ことを知つて居りますわ。」
「ああ、それで分つたよ。」とお帽子屋は言ひました。
「あいつは打たれるのをいやがるだらう。そこでお前があれと仲良くして居さへすれば、お前の好きなやうに時計を動かしてくれるよ。たとへて言へば、朝の九時が本を読みはじめる時間だとすると、お前は時にちよいと小さい声で合図するんだ。すると目(め)ばたきするうちに、針がまはるのだ。それで昼飯の一時半といふことになるんだ。」
(三月兎は、すると小声で独ごとをいひました。「わしはそればかりのぞむのだ。」)
「それは素敵らしいわねえ。」とアリスは考へこんで言ひました。「でも、さうなると——それでお腹までへるといふことはないでせう。」
「多分初めはないだらう。」とお帽子屋は言ひました。「だがお前さへその気になりや、一時半に合す事が出来るやうになるさ。」
「それがお前さんのやり方なの。」とアリスは尋ねました。
お帽子屋は悲しさうに頭をふりました。「わたしにはやれないよ。」と答へました。「わたし達はこの三月に、喧嘩をしたのだ。丁度あれが気違ひになるまへにさ——。」(とお茶の匙で三月兎を指ざしながら)——「ハートの女王主催の大音楽会があつた時だつたよ。それにわしも歌はなければならなかつたのだ。
「ひらり、ひらり、小さな蝙蝠よ、
お前は何を狙つて居るの。」
「お前はこの歌を知つて居るだらうねえ。」
「わたし聞いたやうよ。」とアリスがいひました。
「次はかうなんだ、ねえ。」とお帽子屋は歌ひつづけました。
「世界の上を飛び廻り、
まるでみ空の茶盆のやうだ。
ひらり、ひらり——」
そのとき山鼠が身体をふつて、睡りながらうたひました。「ひらり、ひらり、ひらり、ひらり——。」いつまでたうてもやめませんでしたから、みんなは抓つてやめさせました。
「さて、わしはまだ第一節を歌ひきらない中にだね。」とお帽子屋は話しだしました。「女王はどなりだしたんだ。『あの男は時を殺して居る。首を切つてしまへ』つて。」
「まあ、なんてひどい野蛮なのでせう。」とアリスは叫びました。
「それ以来ズツと、」とお帽子屋は悲しさうな声で言ひつづけました。
「あいつは、わたしの頼むことをしてくれないのだ。それでいつでも六時なのだよ。」
それでアリスは、ハツキリと一つの考へが浮んできました。「それでここにこんなにお茶道具がならんで居るのですか。」と尋ねました。
「うん、さうなんだよ。」とお帽子屋は溜息をついて言ひました。「いつでもお茶の時刻なんだ。それで、お茶道具を洗ふ時間なんてないんだよ。」
「それぢやあお前さんは、いつもぐるぐる動きまはつて居るのねえ。」とアリスは言ひました。
「その通りだ。さうきまつてしまつたのだから。」とお帽子屋は言ひました。
「けれども、いつお前さんは初めにかへつていくの。」とアリスは元気をだして尋ねました。
「話の題を変へるといいなあ。」と三月兎はあくびをしながら、口を入れました。「わしはこの話にはあきてきたよ。若い御婦人に一つ話しだしてもらひたいよ。」
「わたし話なんか知らないことよ。」とアリスはこの申し出に一寸驚いて言ひました。
「それでは山鼠が話さなければいけない。」と二人が言ひました。「目をさませよ、山鼠」かう言つて二人はその横腹を両方からつねりました。
山鼠はそろそろと目を開けました。「わしは寝入つてなぞゐやしないよ。」としやがれた細い声で言ひました。「わしはおまへ達が話してた言葉はいちいち聞いてゐたのだよ。」
「何か話を聞かせないか。」と三月兎は言ひました。
「さあ、どうぞ、お願ひします。」とアリスが頼みました。
「さあ早くやれよ。」とお帽子屋はつけ加へました。
「さうでないと、話がすまないうちにまた寝てしまふからなあ。」
「むかし、むかし三人の、小さい姉妹(きやうだい)がありました。」と、大急ぎで山鼠が話しだしました。「そしてその子たちの名前は、エルジーに、レーシーに、チリーといひました。三人は井戸の底にすんでゐました——。」
「その人達は何を食べて生きてゐたの。」とアリスはいひました。アリスはいつも食べたり飲んだりすることに大層興味を持つてゐました。
「その人たちは砂糖水をのんで生きてゐたよ。」と山鼠は少しの間考へて言ひました。
「それでは暮していけなかつたでせうねえ。」とアリスはやさしく言ひました。「病気になつたでせうねえ。」
「さうなんだよ。」と山鼠が言ひました。「大層わるかつたよ。」
アリスは、こんな風変りなくらし方をしたら、どんなだらうかと一寸考へて見ましたが、あまり妙に思へたものですから、つづけて尋ねました。
「では、なぜその人達は井戸の底で暮してゐたの。」
「もつとお茶をお上り。」と三月兎はアリスに熱心にすすめました。
「わたしまだ何にも飲んでゐませんわ。」とアリスは怒つて言ひました。「それだから、もつとなんて飲みやうがないわ。」
「お前はもつと少しは飲めないと云ふんだらう。何にも飲まないより、もつと多く飲む方が大層楽だよ。」とお帽子屋がいひました。
「誰もお前さんの意見なんかききはしないよ。」とアリスが言ひました。
「さあ、人の事をたちいつて喋るのは誰だ。」とお帽子屋は得意になつてたづねました。
アリスはこれに何と言つてよいか全く分りませんでした。それでアリスは自分でお茶とバタ附パンをとり、それから山鼠の方をむいて又、質ねました。「なぜ井戸の底に住んで居たの。」
山鼠は又一、二分考へてから言ひました。「それは砂糖水の井戸だつたのだ。」
「そんなものはないわ。」とアリスは大層怒つて言ひだしました。お帽子屋と三月兎とは「シツ、シツ。」と言ひました。すると山鼠がふくれていひました。
「もしお前さんが礼をわきまへなければ、自分でそのお話のけりをつけた方がいいよ。」
「いいえ、どうか先を話して下さい。」とアリスは大層おとなしくいひました。「わたしもう口出しなんかしませんわ。一つ位そんな井戸があるかも知れないわね。」
「一つだつて。」と山鼠は怒つていひました。けれどもつづけていふことを承知しました。「さてこの三人の姉妹は——この三人の姉妹は、汲みだすことを覚えました。」
「何を汲みだしたの。」とアリスはさつきの約束を、スツカリ忘れて言ひました。
「砂糖水をだよ。」と山鼠は今度は、チツトも考へないで言ひました。
「わたしはきれいな、コツプが欲しい。」とお帽子屋が口を入れました。「みんな場所を変へようぢやないか。」
お帽子屋はかう言ひながら動きだしました。山鼠があとにつづいていきました。アリスは少しいやいやながら、三月兎のゐた場所に坐りました。席をかへた事で得をしたのは、お帽子屋だけでした。アリスは前ゐたところよりズツト悪い場所でした。といふのは三月兎が、今しがたミルク壺を皿の上でひつくり返したからでした。
アリスは山鼠を、おこらしてはいけないと思ひましたので、大層気をつけて話しだしました。
「けれども、わたし分らないわ。その人達はどこから、砂糖水を汲みだしたのでしやうねえ。」
「お前さん淡水(まみづ)は、淡水の井戸から汲みだすだらう。」とお帽子屋はいひました。「それぢや砂糖水は、砂糖水の井戸から汲めるわけぢやないか、——え! 馬鹿!」
「でもその人達は井戸の中にゐたんでせう。」とアリスは今お帽子屋はのいつた終ひの言葉には、気づかないやうな風をして、山鼠にむかつて言ひました。
「無論井戸の中にゐたのさ。」と山鼠はいひました。
この返事は可哀想なアリスを、ますます分らなくさせたものですから、アリスはもう口を入れないで、しばらくの間山鼠に勝手にしやべらせてゐました。
「姉妹たちは、汲みだすことを覚えました。」と山鼠は大層睡たかつたものですから、欠伸をして目を擦りながら言ひました。
「いろんなものを汲みだしました。——Mの字のつくものは何んでも。」
「どうしてMの字のつくものを。」とアリスが言ひました。
「何故それではいけないといふのだ。」と三月兎が言ひました。
アリスは黙つてしまひました。
山鼠はこの時両眼をとぢて、コクリコクリと睡り始めました。けれどもお帽子屋につねられたのでキヤツと言つて目をさましました。そして言ひつづけました。「——先づMの字で始まつて居るものは、鼠わな(Mouse traps)、お月様(Moon)、もの覚え(Memory)、それから、どつさり(Muchness)、——それにお前も知つてゐる、似たり寄つたり(Much of Muchness)といふものをさ。お前今までに「似たり寄つたり」を汲みだすのを見たことがあるかい。」
「おや、おまへさん今、わたしにものを訊いたのねえ。」とアリスは全くこんがらがつていひました。「わたし知らないわ——。」
「それぢや、お前お話をしていけない。」とお帽子屋が言ひました。
この失礼な言葉で、アリスはもう我慢ができなくなつてしまひました。で、すつかり怒つて、立ち上つて歩きだしました。山鼠は直に寝入つてしまひました。他のものはアリスの出ていくのには、気をとられてゐないやうでした。けれどもアリスは呼び返されるだらうと思つて、一、二度振り返つて見ました。一番しまひにふり返りましたとき、二人は山鼠を急須の中に入れようとしてゐました。
「とにかく、わたしはもう決して、あすこへいかないわ。」とアリスは森の中をテクテク歩きながら言ひました。「あんな馬鹿げた茶話会には、わたし生れて初めていつたわ。」
丁度アリスが、かういひましたとき、気がついて見ると一本の樹に戸がついてゐて、その中に這入れるやうでした。「ずゐぶん珍らしいのね。」とアリスは考へました。「でも今日は何から何まで、珍らしづくめだもの。だからやつぱり又、直ぐ入つてみてもいいと思ふわ。」さういつてアリスは内へ入つていきました。
又もやアリスは、長い広間の内にでました。そしてすぐ側にガラスのテーブルがありました。「さあ、今度はうまくやれさうだわ。」と独ごとを言ひながら、金の鍵を手にとつて、庭につづいて居る戸をあけました。それからアリスは、背が一尺位になるまで、蕈をかぢり始めました。(アリスは蕈をポケツトに入れてゐたのでした)。それから小さい廊下を通つていつて、そして——とうとう目の覚めるやうな花床や、涼しい泉水のある綺麗な庭にでていきました。
八 女王の球打場
大きな薔薇の樹が、庭の入口の傍に植わつて居りました。その樹に咲いて居る花は白でした。けれども三人の庭師が、せつせとそれを赤く塗つて居りました。アリスは大層不思議に思つて、よく見るために側へと寄つていきました。アリスが三人のところへ間近に来ましたとき一人が、「おい、気をつけろい、五の野郎、こんなにおれに絵具をはねかすない。」
「どうともしやうがないさ。」と五は不機嫌さうに言ひました。「七の野郎がおれの肘をついたんだよ。」
すると七が顔を上げて言ひました。「さうだらうよ、五の野郎、お前はいつも他人に罪をなすりやがる。」
「貴様余けいな口なんぞ利かない方がいいぜ。」と五がいひました。
「おれはつい昨日も女王様が、貴様を打首にしてもいい位だつておつしやるのを聞いたぞ。」
「何でだ。」と、一人の男が初めて言ひました。
「それはお前には用のないことだ、二の野郎。」と七がいひました。
「うんそれはあいつに用のあることだ。」と五がいひました。「それだからわしがあいつに話してやるよ——玉葱の代りにチユリツプの根を料理番に渡したからなんだ。」
七は刷毛を投げだして、かういひ始めました。
「さてまあ、いろいろと、不公平な事のうちで——。」このとき七は、アリスが、そこに立つてヂツと見てゐるのを知つたものですから、急に言ひかけた言葉をのみ込みました。それで他のものも亦周りを見まはして、アリスの居るのに気がつきました。みんなは揃つて叮嚀にお辞儀をしました。
「あの一寸お尋ねしたいのですが。」とアリスは少しおどおどして言ひました。「どうしてこの薔薇を塗つていらつしやるんですか。」
五と七は何にも言はないで、二の方を見ました。二が低い声で話しはじめました。「まあ、その理由と云ふのはねえお嬢さん、ここに赤い薔薇の樹を植ゑなければならなかつたのです。ところが間違へて白い樹を植ゑたのです。そのことを女王様に見つけられたら、わたし達はみんな打首になるのです。それでお分りでもありませうが、女王様がここへいらつしやらないうちに、一生懸命赤に塗つて居る次第なのです——。」このとき庭の向ふをキヨロキヨロ見て見た五が叫びだしました。「女王様だ、女王様だ。」すると三人の庭師は、直ちに、平伏してしまひました。多勢の人の足音がやつて来ました。アリスはぜひ女王を見たいと思つて、すぐ振り返りました。
先づ初めに棒を持つてゐる、十人の兵士がやつて来ました。この兵士共は庭師と同じやうな恰好をして居ました。それは平べつたい長つぼそい形で、その角(すみ)から手や足がでてゐました。次に十人の廷臣たちがやつて来ました。この人達は全身ダイヤモンドで飾られてゐて、兵士達と同じに二列になつて歩いてきました。そのあとから王子たちが来ました。みんなで十人、二人づつ手をつないで、この小さい可愛らしい子供たちは、愉快さうにとんでやつて来るのでした。どれもみんなハートの形で飾られて居りました。次には賓客(おきやく)達で、大抵は王子様か女王様でしたが、アリスはその中に白兎が入つて居るのを見つけました。兎はあわてた、こせついた風で話をしながら、話の一つ一つにニコニコ笑つたりして、アリスには気づかない風でそばを通りすぎました。それからハートのヂヤツク(ママ)が王冠を朱の天鵞絨(ビロウド)の褥(しとね)の上にのせて持つていきました。そしてこの大行列の一番終りにハートの王様と女王とがやつてきました。
アリスは三人の庭師のやうに、顔を地につけて平伏して居なければならないものかどうか、疑はしく思ひました。行列を見る場合そんな規則があるなどと聞いた覚えがありませんでした。「それに人人が行列が見えないほど顔を地につけて平伏して居ては行列をしたつて、何の役にもたたないぢやないの。」と考へました。それでアリスは自分の場所に立つて行列のくるのを待つてゐました。
行列がアリスの方へやつて来ましたとき、みんな一人残らず立止つてアリスを見ました。すると女王はいかめしい顔をして言ひました。
「これは誰だ。」女王はハートのジヤツクにいつたのでしたが、この男はただお辞儀をしてニコニコ笑つて居るばかりでした。
「馬鹿!」と女王は我慢しきれない様に、頭をふりながらさう云つてから、アリスの方を向いて訊ねました。「お前の名は何といふのだい。」
「陛下、私の名前はアリスでございます。」と大層叮嚀にいひましたが、心の中ではかう思ひました。「まあ、この人達はつまり、カルタの一組にすぎないぢやないの、わたしこんな人達こはがるには及ばないわ。」
「それから、この者たちは誰だ。」と女王は薔薇の樹のグルリに、平伏して居る、三人の庭師を指さしながら言ひました。なぜなら、この男達は地に平伏して居るので、背中の印は外のカルタ仲間と同じですから、庭師だか、兵士だか、廷臣だか、自分たちの子供の中の三人だか分らないのでした。
「どうしてわたしに分りませうか。」とアリスはいつて、自分ながらさういひだした勇気に驚きました。「そんなことはわたしに係のない事でございます。」
女王は怒つて真赤になりました。しばらくの間恐ろしい獣のやうな目をして睨んでゐましたが、金切声でどなり始めました。「あの女の子の首を切れ、切つてしまへ。」
「馬鹿ねえ。」とアリスは大層大きな声で、キツパリと言ひました。すると女王は黙り込んでしまひました。
王様は女王の腕に手をかけて、おぢおぢしながら言ひました。「まあ、おまへ、考へてごらん。あれはねんねえに過ぎないよ。」
女王は怒つて王様から顔をそむけて、ヂヤツクに言ひました。「あいつらを、ひつくり返せ。」
ヂヤツクは大層用心深い片足で、言はれた通りにしました。
「おきろ。」と女王は金切声をはり上げて言ひました。すると三人の庭師は直にとび起きて、王様や女王様や、王子たちや其の外、誰にでもお辞儀をし始めました。
「もうお止め。」と女王は金切声でいひました。「おまへたちのすることを見て居ると、目がまはつてくる。」それから薔薇の樹の方を向いて、いひました。「お前たちはここで何をしてゐたのだい。」
「陛下のお気に召すやうに。」と二人は片膝をつきながら、恐れ入つた声でいひました。「わたしたちはあの——。」
「分つた。」と女王は薔薇の花を調べて見てから言ひました。「この男たちを打首にしろ。」それから行列は動き出しました。後にはこの不仕合せな庭師を死刑に処するために、三人の兵士が残りました。三人の庭師たちはアリスのところへ走つて来て助けを願ひました。
「お前たち打首になることはないわ。」とアリスは言つて、近くに置いてああつた大きな植木鉢の中に三人を入れてしまひました。三人の兵士たちは、しばらくの間、庭師を探しに歩きまはつてゐましたが、やがて落ちつきはらつて行列の後についていました。
「打首にしたか。」と女王が叫びました。
「仰せの通りに、首をはねましてございます。」と兵士たちは叫びかへしました。
「よろしい。」と女王は叫びました。「お前球打遊びができるか。」
兵士たちは黙つてアリスの顔を見ました。——といふのは、この問は明らかにアリスに尋ねられたからでした。
「はい。」とアリスは大声でいひました。
「それではおいで。」と女王はどなりました。
そこでアリスは、この次にはどんなことが起るだらうかと思つて、行列に加はりました。
「ええと、ええと、大層よい天気ですなあ。」とアリスのそばで、おどおどした声が言ひました。アリスは例の白兎のそばを歩いて居るのでした。兎は心配さうにアリスの顔をのぞき込んでゐました。
「大層よいのねえ。」とアリスが言ひました。「公爵夫人はどこにいらつしやるの。」
「シツ、シツ。」と兎はあわてて、小さい声でいひました。かう言ひながら兎は心配さうに一寸振り返りました。それから爪先立をして、アリスの耳に口をつけ、ささやきました。「夫人は死刑の宣告をうけたのです。」
「なんで。」とアリスは言ひました。
「あなたは『なんて気の毒な』といつたのですか。」と兎が訊ねました。「いいえ、さうぢやないわ。」とアリスは答へました。「わたし少しも気の毒には思ひませんわ。『なんで』とわたしはいつたのよ。」
「夫人は女王様の耳を打つたのでした。」——と兎はいひ始めました。アリスはキヤツ、キヤツと笑ひました。
「まあ、お静かに。」と兎は驚いていひました。
「女王様に聞えますよ! 公爵夫人はね、少し遅くなつて来たのです。すると女王様がおつしやるのに——。」
「みんな場所におつき。」と女王は雷のやうな声でいひました。家来たちは、ぶつかり合つてころびながら、そこいら中を駈けまはり始めました。けれども、一、二分のうちに場におちついて、それで遊戯が始まりました。
アリスは、こんな珍らしい球打場は、生れて初めて見たと思ひました。それは、どこも畔や溝ばかりでした。球は生きた蝟(はりねずみ)で、棒は生きた紅鶴でした。そして兵士たちは、アーチをつくるのに、自分達の身体を二重に折つて、手と足とで立たなければなりませんでした。
アリスが先づ一番むづかしいことだと思つたのは、紅鶴をあつかふことでした。アリスはそれの身体を丸めて、大層工合よく、足を下にさげて、脇の下にかかへることができました。けれども、アリスがそれの首を真直に旨くのばして、それの頭で蝟の球を打たうとする時になると、いつもぐなりとまがつてしまつて、ずゐぶん変な顔をしてアリスの顔をヂツと見るものですから、アリスはこれを見ると笑ひださないでは居られませんでした。アリスがその首を下にさげて又打ち始めますと、今度は蝟がころがらないで、のそのそ匍つていかうとしますので、全くいらだたしくなりました。その上、蝟を打ちださうとする方向には、一面に畔や溝があつて、それに二重に折れて輪をつくつて居る兵士は、いつも起き上つたり、方方歩きまはつたりしますので、アリスは間もなく、この球打遊はほんとに難しい遊戯だと定(き)めてしまひました。
球打をする人達は、順番なんか待たず、始終喧嘩をして、蝟をとりあつて、一度に球打をしだしました。それで女王はすぐに怒つてしまつて、地団太をふみながら、どなりたてました。「あの男を打首にしろ。」とか「あの女を打首にしろ。」とか、一分間に一度位の割合で言つて居りました。
アリスも大層心配になつてきました。アリスは、まだ女王とほんとに喧嘩だけはしませんでした。けれども、いつどうなるかも知れないことだと思つてゐました。「さうしたら、わたしどうなるだらう。」とアリスは考へました。「この国の人達は、打首をすることが大変好きらしいわね。だのに、生き残つてる人がゐるから、全く不思議だわ。」
アリスは逃げ道をさがして、見つけられないで、逃げられるかどうかと考へてゐました。そのとき空中に妙な形をしたものが現はれました。初めのうちは何だかさつぱり見当がつきませんでしたけれども、一、二分の間ヂツと見て居ると、それがニヤニヤ笑ひの口だといふことが分りました。それでアリスは独語をいひました。「あれはチエシヤー猫だわ。これでわたし話相手ができたわ。」
「御機嫌如何ですか。」と物が言へるだけ口が出て来た時猫はいひました。
アリスは猫の目がでてくるまで待つてゐました。それから分つたやうにうなづきました。「耳がでてくるまでは話をしても無駄だわ。すくなくとも片耳だけでも。」
すぐに猫の頭がすつかり出て来ました。そこでアリスは紅鶴を下に置いて、自分の話を聞いてくれるものができたのを喜んで、球打の話をしだしました。猫は頭だけ見せれば十分だと思つて、それ以上には姿を現はしませんでした。
「みんなが正直に球打ちをして居るとは思へないわ。」とアリスは、不平らしい口付で話しだしました。「それにあの人達は無茶に喧嘩をするもんだから人のいふことなんかきこえやしないの——そしてこれといつて別に規則もないらしいのよ。まあ、もしあつても誰も守りはしないわ。——それに何から何まで生き物を使う(ママ)んですもの、その混雑といつたら考へもつかない位だわ。たとへていへば、わたしが次にくぐつていかねばならないアーチは球打場の向ふの端なんかを歩き廻つてゐるの。——そして今しがたもわたしが、女王の蝟を打たうとすると、私のが来るのを見つけてずんずん逃げていつてしまふといふ始末なの。」
「お前女王様は好きかい。」と猫は低い声でいひました。
「ちつとも。」とアリスが言ひました。「女王様は大変に——」といひかけると、女王がすぐアリスの後で、耳をかたむけてゐるのを見つけましたので「——きつと勝つでせう。だからおしまひまで勝負をやる必要なんかないわ。」と言ひました。
女王はニコニコして通つていきました。
「お前は誰に話をして居るのだい。」と王様はアリスの傍へやつてきて言ひました。そして大層不思議さうに猫の頭を見ました。
「これは私の友達で——チエシヤ——猫ですの。」とアリスはいひました。
「御紹介しますわ。」
「わしはあれの顔つきがきらひだ。」と王様がいひました。「けれども望みとあれば、手にキツスをゆるしてやる。」
「あんまり望みでもありません。」と猫はいひました。
「小癪なことをいふな。」と王様は言ひました。「そんなにわしの顔を見るな。」王様はかう言ひながら、アリスのうしろへいきました。
「猫は王様の顔を見てもいいものです。」とアリスは言ひました。「わたしはある本で見たことがあります。でもどこだつたか覚えてゐません。」
「とにかく、あいつは取りのけなければいけない。」と王様は大層キツパリといつて、丁度そこを通りかけた女王に話しかけました。「ねえ、お前あの猫をとりのけてくれないか。」
女王にはどんなむづかしい、又は易しい問題でもそれを定(き)めるには一つの方法しかありませんでした。それで「あいつを打首にしろ。」といつて見向きもしませんでした。
「わしは自分で首斬人をつれてくる。」と王様は熱心にいつて、駈けだしました。
アリスは自分も戻つていつて、勝負がどんな様子だか見たいと思つてゐましたが、そのとき女王が怒つて、金切声を張り上げて居るのを聞きました。順番を間違へたといふ理由で、女王が三人に死刑の宣告を下したのでした。アリスは勝負が滅茶苦茶になつて、自分の順番だかどうだか分らないほどでしたから、様子を見て居るのがいやになつてきました。それで自分の蝟を探しにでかけていきました。
蝟は外の蝟と争つてゐました。それをつかまへて他の蝟を打つのに至極いい時だと思ひましたが、今度は困つたことには、紅鶴がお庭の向ふへ行つて、樹の上にとび上らうとあせつて居るのが見えました。
それで紅鶴をつかまへて帰つて来ますと、蝟の争ひはすんで居て、二匹ともどこかへ去つてしまつてゐました。「でも平気よ。アーチの兵士たちがこつち側にはゐなくなつてしまつたから。」
そこでアリスは紅鶴をのがさないやうに、脇にしつかりかかへて、お友達と話をしに戻つていきました。
アリスがチエシヤー猫の処に戻つていつて、驚きましたことには、猫のまはりに多勢の人があつまつてゐるのでした。首斬人と王様と女王との間に口喧嘩がおこつてゐて、三人が三人とも一緒にしやべりたててゐました。けれども他の者たちは黙りこんで、不愉快さうな顔をしてゐました。
アリスの姿が見えると、三人はアリスにこの問題をきめてくれるやうにと頼むのでした。三人はアリスに自分の言分をくりかへしました。けれども、一緒に話すものですから、何をいつて居るのかよく分りませんでした。
首斬人の言分は、首が身体についてゐなければ首を切ることはできない、それに今迄にそんなことはしたこともないし、又自分の様な年齢になつてから、そんなことをやり始めようとも思はないといふのでした。
王様の言分といふのは、首のあるものの首をきることができないことはない、そしてこれは馬鹿げた話しではないといふのでした。
女王の言分といふのは、今すぐできないやうなら、誰でもかまはず、みんなを打首にする、といふのでした。(このおしまひの言葉で、一同は至極ものものしい心配げな顔をしました。)
アリスは外に何もいふべきことを思ひつかず、唯、「それは公爵夫人のものです、夫人に訊いて見た方がよろしいでせう。」とだけ言ひました。
「あの女は牢屋に入つて居る。」と女王は首斬人にいひました。「ここへ連れてこい。」それで首斬人は矢のやうにとんでいきました。
猫の頭は首斬人が行つたときから、段段と消えはじめ、公爵夫人を連れてきたときには、すつかり見えなくなつてゐました。そこで王様と首斬人は、アチラコチラをドンドン走り廻つて猫を探しました。けれども他の人達は、又勝負をやりに立ちかへつていきました。
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